桂三木男の「猿後家」 ― 2014/05/04 06:42
4月30日は、第550回の落語研究会だった。 新年度の初回で心なしか若 いファンが増えたように見え、こちらが年取ったのを感ずる。 47年目に入り、 550回という切りの良い数字に、感慨なきしもあらず、あと何回を、重ねるこ とができるか。
「猿後家」 桂 三木男
「加賀の千代」 春風亭 一之輔
「庚申待ち」 五街道 雲助
仲入
「かぼちゃ屋」 瀧川 鯉昇
「付き馬」 古今亭 志ん輔
桂三木男の母小林茂子さんの父、つまり祖父は三代目桂三木助、母の弟、つ まり叔父は四代目桂三木助、まあ花緑と同じ立場だ。 しかし出るなり、馬生 の三番弟子の三木男です、と。 祖父が、祖父がと言う花緑とは違う。 祖母 は50数年、後家だと、「猿後家」に入ったが…。
三木男、藤色の着物と羽織、髪はごってり。 大店の後家さんがやり手なの だが、猿に似ていて、店の者も、出入りの者も、「さる」という言葉が使えない。 源さんが顔を出すと、番頭はもう三日も怒り続けているという。 植木屋が庭 の手入れをしていて、泉水の脇に植える木を聞かれ、うっかり「さるすべりが いいでしょう」とやって、「この恩知らず」とキセルの雁首で額を割られた。 植 木屋は、こちらから出入り止めだ、柿の木の上で、お握りでも食っていろ、と 啖呵を切った。 それで、怒りが三日続いている。
源公、得意のおしゃべりで、留守ですかと声をかけ、おかみさんでしたか、 人違いかと思った、京都からおいでになるお千代さんかと。 お千代は19だ よ、京美人だし。 おかみさんは、お会いするたびに若くなる、まだ化粧前、 素顔、嘘でしょう、本当に。 それでお化粧すれば、後光が差す。 お清、鰻 をそういって、お酒もつけとくれ。 この五、六日、女房の親が出て来まして ね、東京見物、皇居遥拝、日比谷、新橋で天丼の特上を食べさせ、泉岳寺で四 十七士の墓、靖国神社、上野の西郷さんの所で写真を撮って、浅草の観音様、 仲見世を右左、雷門の右に黒山の人だかり。 何かと思って、人をかき分けて 前へ出ると、近頃珍しい「猿回し」。 「この恩知らず」、お清、鰻捨てちまい な、煮え湯を沸かして、塩撒いておくれ。
番頭の話では、仕立屋の泰平が来て、娘が踊りを習っていて、今度「靫(う つぼ)」で猿をやると言って、しくじった。 泰平よく考えて、あくる日、女房 娘と三人で来て、江戸を立って旅に出る、と。 娘が絵草子屋の前で、お店の おばちゃんにそっくりだから、旅に持っていきたいと言った。 おかみさんに、 この錦絵に魂を入れてもらいたい、と目の覚めるような美人の絵を出した。 そ れでお酒や料理が出て、びっくりするような小遣いをもらった。 源公は、番 頭にこの世で一番きれいな人はと聞き、小野小町と覚える。 口(おしゃべり) しかないのでと、ふたたび挑戦。
おかみさん。 源公、まだいたのか、お清、煮え湯はまだかい。 何をそん なにお怒りか、わからない。 雷門で見たんだろ。 ええ近頃珍しい「皿回し」。 お清、鰻、まだかい。 女房の親に、お店のおかみさんはどんな人と聞かれて、 小野小町のような方かな、と。 またァ、私は大げさなのは嫌いなんだよ、お 清、銀行行って、下ろして来て。 源さん、えらいね、よく小野小町を知って いた。 いいえ、ほんの猿知恵でございます。
三木男、テンポもよくて、開口一番にしては出色の出来。 今後が楽しみだ。
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