弘前(シロサギ)だけァえんだどごァ2016/05/23 06:26

旧弘前市立図書館

 弘前市立図書館で津軽家文書を拝見した後、県重宝で名匠 堀江佐吉が建設し たルネッサンス洋式の洋館、旧弘前市立図書館の隣りにある、これも県重宝の 旧東奥義塾外人教師館のサロン・ド・カフェ・アンジュでフルコースの洋風ラ ンチなるものをいただく。 洋風かつ、東奥弘前風であった。 東奥義塾は開 学当初から外国人宣教師を招聘し、明治23(1890)年には外国人教師の住居 が建てられた。 現在の建物は明治33(1900)年に再建したものという。

 ここから弘前ボランティアガイドの会長さんの案内で、弘前城とその周辺を 見学した。 まず、弘前市元長町の養生幼稚園にある「松陰室」へ。 吉田松 陰が宮部鼎蔵との東北視察の旅で、嘉永5(1852)年3月1日津軽藩の儒者で 勤王の志を同じくする伊東広之進梅軒宅を訪ねた。 黒船の出没におののく北 辺警備の実情を聞くためである。 伊東邸を辞するに際しての松陰の詩、「男児 北夷の陲(ほとり)を略せんと欲す/いかにせん吾に百万の師(いくさ)なき を/なほ忻(よろこ)ぶ半日高堂の話/幸ひに此の行のために一奇を添へしを」。  梅軒宅を隣家の医師で幼稚園を創立した伊藤重が購入し、松陰・梅軒会談の部 屋を「松陰室」と命名、永く保存し、青少年教育の場とした。 松陰の画像、 「半日高堂話」という門下生山県有朋や、陸羯南、後藤新平の書が掲げられて いる。 その偉人棚には、西郷隆盛手製の烏賊釣具、勝海舟の檜皮(ひわだ) 篭とともに、なぜか福沢諭吉の『民間経済録』の板木があった。

 弘前城は、津軽統一を果たした津軽家初代藩主 為信(ためのぶ)が慶長8 (1603)年に計画、2代 信枚(のぶひら)が慶長16(1611)年に完成させた。  南側、弘前市役所前の追手門から入る。 門の立端(たっぱ)が高いのは、雪 国で冬に乗馬の殿様が兜をぶつけないためだそうだ。 弘前公園となっている 弘前城の広さは約49.2ヘクタール、東京ドーム10個分以上の敷地は、三重の 濠と土塁に囲まれ、6つの郭で構成されている。 五月の連休頃の2600本の桜 が名高いが、立派な松の木も多く、楓や桜の紅葉の季節も見事だそうだ。 石 垣が膨らんでいるのが見つかり、現在、平成35年度まで続く本丸・石垣修理 工事中だ。 昨年は、天守を3か月かけて約70メートル後方にそのまま移動 する曳屋工事がニュースになった。 桜もリンゴもバラ科だということで、弘 前方式の桜の手入れが実施されている。

老桜伐りて再生若葉かな

 西濠と岩木川越しに岩木山を望む、天守横の展望台で、ガイドの会長さんが、 一戸謙三の詩「弘前(シロサギ)」を津軽弁で読んでくれた。 その一節は、「何 処(ド)サ行(エ)ても おら達(ダヅ)ねだけァ 弘前(シロサギ)だけァえ んだどごァ 何処(ドコ)ネある! お岩木山(ユワキサマ)ね守らェで お 城の周りさ 展(フロダ)がる 此のあづましい おらの街(マジ)・・・・・」、 「ああ何処(ド)サ行(エ)ても おら達(ダヅ)ネだけァ 弘前(シロサギ) だけァえンたドゴァ 何処(ドゴ)ねも無(ネ)のセ!」