卒業51年以上塾員招待会とクラス会2016/05/26 06:36

 21日に慶應義塾の平成28(2016)年 卒業51年以上塾員招待会が13時か らパシフィコ横浜であり、それに合わせて17時から昭和39(1964)年卒業の 経済学部U組クラス会を中華街の菜香新館で開催した。 自由が丘で東横線に 乗ると、それらしいお爺さんが沢山乗っている。 「みなとみらいは初めてな もので」と心配そうに、案内の地図と首っ引きの先輩に、隣の人が私も行きま すからご一緒に、と話しかけている。 みなとみらい駅からの動線には、随所 に係がいて案内しているし、何しろ同じような老人の大移動に付いて行けばよ い。

 今年から会場を日吉の記念館での午前午後二回興行から、パシフィコ横浜の 一回全員集合方式にした。 清家篤塾長は挨拶で、3万人に招待状を出し、出 席の返事は20%の6千人、最高齢は99歳だと述べた。 わがクラスは、クラ ス会の予定もあって、出席率がよい。 ほかにクラブやゼミや志木高の連中、 情報交流会仲間とも大勢会って、交歓する。 死んだ兄の友人、昭和34年卒 の先輩にもお会いした。 私の友人同士で、お互いに名前は知っていたが、会 ったことのなかった二人を引き合わせる。 何人かの志木高の同期が、同期会 をやってくれと言う。 M君は、正月に突然息子さんを亡くしたそうで、奥さ んの悲嘆が深いと話した、お気の毒なことだ。

入学当初、65名だったU組、14名が亡くなって、3名が行方不明、残りは3 /4だ。 48名に案内を出し、返信なしが6名、出席と欠席が同数の21名と なった。 書いてもらった「近況」をプリントしたら、病気のオンパレード、 疾病一覧表のようになる。 出席率はよいほうだろう。 横浜在住のО君に、 1月からお願いして、選んでもらったのが、彼一押しの菜香新館、広東料理の 名店で、甕出し紹興酒が自慢という店。 期待通りだった。

例によって、何人かにしゃべってもらう。 出席できるのは、健康で、そこ そこ幸せに、それぞれのやり方で、年輪を重ねていることがわかる。 入学の 年は60年安保の年で、安保反対のデモに行くか、行かないか、日吉のキャン パスは揺れていた。 当時先鋭な左の活動家だったN君は、卒業50年の年に なって現れたら、温厚な好々爺になっていた。 学校を出て、会社のコンピュ ーター部門に配属になり、アッセンブラを学んだのが面白く、のめり込んで、 システムエンジニアとして会社人生を全うした。 毎月出る岩波新書を全部読 み、二人の孫娘が替わり番こに来てくれるのが何よりの楽しみという。

生命保険会社のトップになったF君は、入口と出口という話をした。 入口 は、田舎から現役で入学したその安保騒動で、クラスでの議論にT君が「我々 はアメリカからもらったミルクで育ったんだからな」と言ったのを聞いて、悩 んだという。 出口は、経済情勢。 日本経済は、明治10初年から70年周期 の波を描いている。 日英同盟、日露戦争ごろがピークで、昭和20(1945) 年が底。 また上昇に転じて、高度経済成長を果たし、戦後70年の去年が底、 これからは上昇に転じると言う。 希望を持って元気に行こう、と。

97歳とかの母親を介護したというS君、夜中に三度も起きてトイレの世話を し、ヘロヘロになって起きると、毎朝毎朝、その母親に「ちゃんと親孝行しな さいよ」と言われたそうだ。  その経験のあったS君、近くに住むK君と 奥さんが4か月ぐらいの間に、脳溢血で相次いで倒れた時、同じ地域に住むN 君と一緒に、出来るサポートをしたという。 遠くの親戚より、近くの友人、 という良い話。