「絵に描いた餅」アン・オブ・クレーフェ2022/10/13 07:00

 6月11日から、『図書』表紙、杉本博司さんの「portraits/ポートレート」によって、その好色ぶりで名を馳せ6回も結婚したヘンリー八世の、王妃たちの内、前半三人を書いた。 6月12日キャサリン・オブ・アラゴン、6月13日アン・ブーリン、6月14日ジェーン・シーモア。 英国の小学校では、その王妃たちを韻を踏んで覚えやすく、Divorced Beheaded Died. Divorced Beheaded Survived. 離婚、斬首、死。 離婚、斬首、生き延び。と教えるのだそうだ。

 杉本博司さんの『図書』の表紙は7月号から、アン・オブ・クレーフェ、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーの後半三人の王妃が扱われ、10月号はエリザベス一世が登場した。

 そこでアン・オブ・クレーフェである。 三番目の妻ジェーン・シーモアは、エドワード皇太子を産んだ12日後、産褥熱で死に、ヘンリー八世は悲嘆に暮れていた。 これを好機と捉えたのは王の宰相トマス・クロムウェルだった。 クロムウェルは政略結婚の相手としてクレーフェ公国のアンナ公女に白羽の矢を立てた。 お見合い写真のなかった時代、クロムウェルはホルバインをクレーフェ公国に送り込み、肖像画を描かせることにした。 絵を見た王は気に入り、婚礼の準備がつつがなく進んだ。 しかしホルバインは絵がうますぎた、というよりは、実際より美人に描いてしまったらしい。 イングランドに彼女が到着してみると王の不興を買ってしまう。 ヘンリー八世は彼女をフランドルの雌ロバと呼んだと言われている。 アン・オブ・クレーフェには王の妹という身分が与えられ、王室の床に招かれることはなかった。 杉本博司さんは、「絵に描いた餅は食べられないのだ。」と結んでいる。