黒澤絵美著『和一青嵐』を読む「一の風」2024/06/08 07:12

 同人誌『雷鼓』を発行しておられた岩本紀子さんから、黒澤絵美さん著『和一青嵐』(高遠書房)という本をいただいた。 岩本さんの手紙の、黒澤絵美さんの紹介は、「雷鼓で育ったと言って下さる黒澤絵美さんの本。失明したのに、パソコンで小説を書き続けています。マラソンも続け、鍼灸師で生計し、炊事をし、認知症の母上のお世話をしています。」とあった。 この本の著者略歴には「1953年 茨城県龍ケ崎市生まれ。1973年 京都成安女子短期大学(現・成安造形大学)プロダクトデザインコース卒業。デザイン事務所勤務後イラストレーターとして独立。 1980年 視力障害によりイラストレーターを廃業する。 1999年 音声を頼りに文章を書き、同人誌『雷鼓』に随筆を投稿し始める。」と。

 『和一青嵐』は、江戸前・中期の鍼医、杉山和一(わいち)を描いた小説である。 「一の風」「二の風」「三の風」の三章、本文100ページほどを、私は心を揺さぶれつつ、深い感動をもって読み終えた。 黒澤絵美さんが、杉山和一を小説にしたのは、管鍼の術を発明し、盲人の生業に道を開き、五代将軍綱吉の奥医師を務め、初代関東総検校となった偉人の功績を讃えたかったからではなかった。 和一の足跡に触れるにつれ、同じ盲人として、けして才気煥発とはいえない和一が、弛まぬ努力を積み重ねていくことに、非常に魅かれるものがあって、その人間性に迫りたかったからなのだそうだ。 その想いは、黒澤さんご自身半生の体験と重ねることによって、見事に描かれたということができるだろう。

 杉山養慶(すけよし)は慶長18(1613)年、伊勢で藤堂高虎の家臣二百石取の武士の家に生まれたが、十歳の時、疱瘡(天然痘)にかかって失明した。 十七になって、幼馴染達はすでに城務めを始めている。 武芸より学問で、世のため人のために尽くす人になりたいという大志を抱いていたのに、これでは木偶の坊だ。 歌舞音曲の能もない。 武家は「当道座」という盲人保護制度(座当、勾当、別当、検校の四階級。京都に「職屋敷」という本部)に属する義務を免除されてはいる。 養慶に家督を継がせられない父は、下の娘に婿養子を取ることを考え始めて、母と口論になっていた。

 ある晩、ついに悶々たる思いを抱いたまま一人屋敷を出て、杉山家の墓所のある霊泉寺の近くで、足を滑らせ土手下に落ちた。 小川の淵まで足場を探り、身を投げよう! ひと思いに命を断とう! 飛び込んだつもりが、水際の杭に足を引っ掛け、頭だけ水に突っ込み、泥臭い水を大量に飲んだ。 断末魔の苦しさかと思った刹那、誰かが彼の名を呼んだ。 「養慶、死んではなりませぬ!」 振り回した腕に川底の手応えを感じて、死にもの狂いで立ち上がると、川の深さは腰までしかなかった。 優しい慈愛に満ちた声だった。 母上様か? 人が近寄ってくる気配もないが、確かに彼は声を聞いた。 ぬるい風の中から優しいが凛とした気迫のある声が呼びかけてきたのだ。

 死に損なった! とたんに今まで抑えていた鬱積した想いが堰を切ったように胸に溢れてきた。 両親に心配をかけまいと努めて冷静にふるまっていた抑圧された想いやら怒りや悲しみややるせなさが一気に喉元からほとばしり出た。 彼は号泣した。

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