『福沢手帖』201号に「馬ヵ翁自伝」のようなもの ― 2024/06/27 07:00
実は6月20日発行の『福沢手帖』201号の特集『福沢手帖』200号記念(2)に、「「人間交際」の恵み、福沢諭吉協会五十年」という一文を書かせていただいた。 特集のトップは座談会「福沢諭吉協会のこれから」であり、特集以外では、金文京さんの[福沢諭吉の漢詩 54]「明治二十八年還暦の詩」、森林貴彦さん(慶應義塾高校野球部監督・幼稚舎教諭)の「全国優勝への転機いくつか」が並んでいる。
拙稿は、福沢諭吉協会の土曜セミナーでたまたま同じテーブルに座った小室正紀常務理事に、実は昭和48(1973)年11月の第1回土曜セミナーを聴いているという話をしたことから、「協会草創期の思い出」という原稿依頼が来たのだった。 「長生きも芸の内」というけれど、芸はなくても、齢を取っているだけで、そんなことが起こるのだ。 慶應志木高生の時代に、「福沢いかれ派」になった事情から、長く続けている「ひとり新聞」「等々力短信」の読者になってもらった福沢諭吉協会のたくさんの先生方に可愛がっていただいた話を綴った。 電子メールの時代になって、書簡集を編むのが困難だというが、先生方から頂戴したお手紙に、どんなに励まされたことか、計り知れない。 よく知られているように、福沢は最初societyを「人間(じんかん)交際」と訳し、社交やコミュニケーションの大切さを説いた。 福沢諭吉協会の先生方、史蹟見学会やセミナーや講座の「耳学問」から得た数々の恩恵を、表題の「「人間交際」の恵み、福沢諭吉協会五十年」としたのであった。
たまたま、「等々力短信」に『新編 虚子自伝』(岩波文庫)を読む<等々力短信 第1180号 2024(令和6).6.25.>を書いたところだった。 高浜虚子、74歳と81歳の二つの自伝が、文庫本にまとめられた。 虚子がそれを書いた歳を超えるようになった私が、福沢諭吉協会との関わりや「等々力短信」を続けてきた自分史か遺言、「馬ヵ翁自伝」のようなものを、書かせて頂けたことは、まことに有難かった。
編集担当の方は、私の文中にあった、昭和39年4月9日にパレスホテルで開かれた福澤諭吉全集完成祝賀会の記念写真を探し出して、『福沢手帖』201号に二枚掲載してくれた。 また、森林貴彦さんの一文には全国優勝した慶應高校チームが大阪玉江橋北詰に立つ福沢諭吉誕生地の碑を囲む写真が掲載されていて、これは高校3年生の私が昭和35年にこの地で開かれた第百二十五回福沢先生誕生記念式典に参加したことにつながっている。 裏表紙は、「明治三十二年六月『福翁自傳 全』時事新報社發行」の表紙写真。
(「「人間交際」の恵み、福沢諭吉協会五十年」をお読みになりたい方は、馬場までご一報下さい。)
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