正面に岩手山が見える家<等々力短信 第1187号 2025(令和7).1.25.> ― 2025/01/25 07:01
12日放送の『日曜美術館』「人生で美しいとは何か―彫刻家・舟越保武と子どもたち」を、ご覧になっただろうか。 「戦後日本を代表する彫刻家・舟越保武(1912-2002)。カトリックの信仰を主題とした精緻で存在感にあふれた作品は、見るものに「美しさとは何か?」を問いかける。保武の7人の子どもたちは、その多くが芸術関係の道を選んだ。長女は児童図書出版で活躍。次男と三男は父と同じ彫刻家に。そして末娘は紆余曲折を経てアーティストへ。子どもたちの人生と言葉を通して、舟越が体現した「美しさ」を考察する。」
番組の冒頭、そして何度か、岩手山を正面に広がっている八幡平市の丘の上の家からの美しい景色を、長女・末盛千枝子さんと一緒に、眺めることが出来た。 岩手出身の舟越保武さんが、この地に山荘を建てたのは、1991年秋、早世した親友の画家・松本竣介のご子息莞さんの設計だった。 初めて行った保武さんは、窓から一面に見える景色に、「おい、朝だぞ、岩手山が見えるぞ」と、大喜びしたそうだ。
末盛千枝子さんのつくったM・B・ゴフスタイン作・絵、谷川俊太郎訳の『画家・AN ARTIST』を、「ある絵本の話」「等々力短信」411号に綴って、愛読者カードのつもりと、ご本人に送ったのが1986年12月だった。 大学の同期とは知らなかった。
1月10日は、第190回福沢先生誕生記念会が三田であった。 65年前の1960年、第125回の記念式典は、大阪堂島の生誕地で開かれて、私は志木高校から派遣された。 この時、女子高から来たのが新聞部の編集長・田中泰子さんだった。 彼女には「等々力短信」をずっと読んでもらっていた。 1991年2月559号に「福沢のワッフル」、木村摂津守喜毅が咸臨丸でアメリカからワッフルを焼く金型を持ち帰り、福沢が親友の高橋順益にワッフルを焼くところを見せるのだが、パチパチはねて失敗、鰻をご馳走した話を綴った。 その最後に、「高校時代に知り合い、今は岩手の豊かな自然のなかで子育てをしているガールフレンドが、昨年暮、マドレーヌを焼いて送ってくれた。手作りのお菓子に込められた気持が嬉しかった」と書いた。 縁とは不思議なものだ。
末盛千枝子さんは、30年以上前、絵本の仕事を始めた頃、保武さんの生まれた一戸で講演をし、大学時代の親友の住む八幡平松尾の家に泊めてもらった。 岩手山を正面に、見渡すかぎり、ずっと続く雪をかぶった田や畑の雰囲気が、あのブリューゲルの《雪中の狩人》にそっくりで、言葉を失うほどだったという。 東京に帰って、両親にその話をすると、そこに家を建てたいということになり、親友の骨折りで、彼女の家の斜め前に山荘を建てることになる。 2020年、千枝子さんがその家に越した。 実は、その親友がマドレーヌの彼女だったことを確めたのは、ごく最近のことだ。
(参照: 第1166号 2023(令和5).4.25. 絵本が生まれるとき、第1167号 2023(令和5).5.25.世界の人が行きたい盛岡)
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