世田谷美術館「東急 暮らしと街の文化」展2025/01/26 07:25

 チケットをいただいたので、世田谷美術館で、「東急 暮らしと街の文化―100年の時を拓く―」展(2月2日まで)を見てきた。 東急沿線の生まれ育ちで、今も住んでいるのだから、「100年の時」の83%を共に暮らしてきて、その文化にどっぷりつかっていることになる。 最近、東横線を走っている復刻の緑色の電車「青ガエル」には「T.K.K.」の文字が見える。 T.K.K.は、東京急行株式会社の略だろうが、子供の頃、悪ガキは「とても、混んで、殺される」と言っていた。

 展覧会は、4章構成で、第1章「暮らしの時を運ぶ―東急の輸送事業」、第2章「街の時を拓く―東急の街づくり」、第3章「沿線に寄り添う創造―東急沿線に居住した美術家たち」、第4章「文化を拓き、育てる―東急の文化的社会貢献」となっている。

 日本資本主義の父といわれる、一万円札、渋沢栄一(1840-1931)は大正時代、サラリーマン層が急激に増加し住宅問題の改善が社会的課題となった東京で、欧米で見聞してきた田園都市という街づくりに取り組む。 1918(大正7)年、郊外住宅地の開発と販売を目的に、田園都市株式会社を設立する。 同社は、現在の洗足、大岡山、田園調布付近の住宅分譲地の販売に取り組むとともに、東京中心部へのアクセスとして鉄道事業も展開する。 その経営に参画していた小林一三(1873-1957)を通じて、鉄道院(鉄道行政の中央官庁、後に鉄道省)出身で武蔵電気鉄道の常務だった五島慶太(1882-1959)に協力を求めた。 五島は1922(大正11)年、田園都市株式会社から分離させるかたちで目黒蒲田電鉄株式会社を設立した。 これが現在の東急株式会社となっている。

 1923(大正12)年3月、目黒-丸子(現・沼部)間開通、11月、目黒-蒲田間全線開通。 1928(昭和3)3月、目黒蒲田電鉄が田園都市株式会社を合併。 1929(昭和4)年12月、大井町線大井町-二子玉川間全線開通。 1932(昭和7)年3月、東横線渋谷-桜木町間全線開通。 1934(昭和9)年10月、目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(池上線五反田-蒲田間)を合併。