阪田寛夫さんの『まどさん』まど みちお伝 ― 2025/01/31 06:57
阪田寛夫さんは、童謡「サッちゃん」の作詞者として知られる。 昨日、探し物の手掛かりになった、庄野潤三さん、三枚のお葉書<小人閑居日記 2009. 9.24.>で、二枚目の『五の日の手紙3』(平成6(1994)年12月5日刊)をお送りした時のお葉書には、「目次をひらいて、『まどさん』を先づ拝見しました。」とあった。 『まどさん』は、阪田寛夫さんの著書、まど みちお伝である。
その『まどさん』、「等々力短信」第617号と、その前の第616号「海の「きゅうり」」を再録させてもらう。
海の「きゅうり」 <等々力短信 第616号 1992.10.15.>
『THE ANIMALS(どうぶつたち)』(すえもりブックス)という絵本が出た。 「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」という童謡で知られる まど・みちお さんの詩、安野光雅さんの切り絵。 詩は、左のページに まど さんの日本語、右のページに英訳がついている。 まど さんの動物の詩の中から20篇を選び、英訳したのは「美智子」さんという方、苗字がない。 そうです。 べにばな国体の開会式で、飛んで来る凶器から、夫君の身を守るべく、差し出されたあのお手で、翻訳がなされたのだ。 日本の子供のための文学を、国際舞台で紹介していこうという活動に共鳴された、皇后さまの手作りの小冊子がこの絵本のもとになった。 このたび日米で同時に出版されたが、日本版、米国版ともに、詩を日英対訳の形にしたのも、皇后さまのご発案だそうだ。
ナマコ A SEA CUCUMBER
☆ ☆
ナマコは だまっている A sea cucumber says nothing,
でも Yet it seems to be saying,
「ぼく ナマコだよ」って “I'm a sea cucumber,”
いってるみたい With all its vigor and energy
ナマコの かたちで By simply being
いっしょうけんめいに… A sea cucumber
日本は、情報を取り込むばかりの輸入大国で、少しも発信しないと、評判が悪い。 情報貿易は大幅な赤字、その差は100:1だという説もある。 だから誤解を招きやすく、それが国際的な摩擦を激化させる一因にもなっている。
だが経済一辺倒(アニマルといってもエコノミックの方)かと思われた日本にも、ちゃんと子供のための心やさしい詩があり、それを英訳して紹介する皇后さまがいる。 ロゼッタ・ストーンのような対訳で見た、不思議な形の日本語に魅せられて、将来のドナルド・キーンさんになる、アメリカの子供も出るかもしれない。
『まどさん』 <等々力短信 第617号 1992.10.25.>
「ぞうさん ぞうさん」のような詩を書く人は、どんな人なのだろう。 阪田寛夫さんに『まどさん』(新潮社)という まど みちお伝がある。 まどさんからの聞き書きを続けていた阪田さんが、まどさんの童謡とキリスト教の関わりについて、とりつく島もないような状態に陥っていた時、まどさんの甥(長兄の長男)で鹿児島に住む物理学者の尚治さんという人が、助け舟を出してくれた。 尚治さんは、まどさんを訪問するたびに「清涼剤を飲んだよう」な気持になる。 「自分の叔父でありながら、どうしてこんな人がいるのだろうか」と不思議でならず、「その生きざまと、人となりが、世に知られれば」と願わずにいられなかったから、協力を申し出たのだそうだ。
まどさんの石田道雄さんは、昭和4年に台北の工業学校土木科を二番で卒業し、慣例で首席と二人、台湾総督府に採用された。 当時駆け落ちして、台中付近の道路建設の現場事務所に、まどさんを頼って行った廖さんの思い出話を阪田さんが台湾へ行って聞いている。 まどさんは、廖さんの奥さんを事務所のお手伝いに採用し、豚小屋に住む廖さん夫妻に自分の新しい蚊帳を貸してくれた。 植民地だった台湾で、まどさんは若いのに、日本人と台湾人とを別け隔てしない稀有な人物だった。 心臓発作で入院中の病院なので、心配して「力を入れずに話して下さい」と頼む阪田さんに「入れざるを得ないです!」と廖さんは、もっと大声を出した。 「信仰を生活化した人物です」と、廖さんは繰返し、まどさんのおかげで日本や台湾といった国(廖さんの言葉で「人類」)を超越しなければならないと気がついたという。 廖さんは、医者になった。
『THE ANIMALS』にもある「いいけしき」という詩には、水平とか垂直といった言葉が出てくる。 『まどさん』を読むと、それは作者が土木科でトランシットを覗いた影響だとわかるのだが、私は遠く地平線にマッチ棒の頭のようなドームのある塔が立っている、静かで平和なルオーの絵を思い出した。 人間も動物も平等に「この平安をふるさとにしているのだ」と、まどさんはこの詩をしめくくる。 どこに行っても誠実で、最善を尽さずにおれないこの詩人にとって、人間はたいてい失望の対象でしかないのだけれど、動物たちも、野の草も、石ころも、それぞれに価値があり、尊いのだ、みんながみんな、心ゆくままに存在していい筈だと、まどさんはいう。
まどさんのような人にしか童謡が書けないなら、私はむろん落第だ。
その『まどさん』、「等々力短信」第617号と、その前の第616号「海の「きゅうり」」を再録させてもらう。
海の「きゅうり」 <等々力短信 第616号 1992.10.15.>
『THE ANIMALS(どうぶつたち)』(すえもりブックス)という絵本が出た。 「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」という童謡で知られる まど・みちお さんの詩、安野光雅さんの切り絵。 詩は、左のページに まど さんの日本語、右のページに英訳がついている。 まど さんの動物の詩の中から20篇を選び、英訳したのは「美智子」さんという方、苗字がない。 そうです。 べにばな国体の開会式で、飛んで来る凶器から、夫君の身を守るべく、差し出されたあのお手で、翻訳がなされたのだ。 日本の子供のための文学を、国際舞台で紹介していこうという活動に共鳴された、皇后さまの手作りの小冊子がこの絵本のもとになった。 このたび日米で同時に出版されたが、日本版、米国版ともに、詩を日英対訳の形にしたのも、皇后さまのご発案だそうだ。
ナマコ A SEA CUCUMBER
☆ ☆
ナマコは だまっている A sea cucumber says nothing,
でも Yet it seems to be saying,
「ぼく ナマコだよ」って “I'm a sea cucumber,”
いってるみたい With all its vigor and energy
ナマコの かたちで By simply being
いっしょうけんめいに… A sea cucumber
日本は、情報を取り込むばかりの輸入大国で、少しも発信しないと、評判が悪い。 情報貿易は大幅な赤字、その差は100:1だという説もある。 だから誤解を招きやすく、それが国際的な摩擦を激化させる一因にもなっている。
だが経済一辺倒(アニマルといってもエコノミックの方)かと思われた日本にも、ちゃんと子供のための心やさしい詩があり、それを英訳して紹介する皇后さまがいる。 ロゼッタ・ストーンのような対訳で見た、不思議な形の日本語に魅せられて、将来のドナルド・キーンさんになる、アメリカの子供も出るかもしれない。
『まどさん』 <等々力短信 第617号 1992.10.25.>
「ぞうさん ぞうさん」のような詩を書く人は、どんな人なのだろう。 阪田寛夫さんに『まどさん』(新潮社)という まど みちお伝がある。 まどさんからの聞き書きを続けていた阪田さんが、まどさんの童謡とキリスト教の関わりについて、とりつく島もないような状態に陥っていた時、まどさんの甥(長兄の長男)で鹿児島に住む物理学者の尚治さんという人が、助け舟を出してくれた。 尚治さんは、まどさんを訪問するたびに「清涼剤を飲んだよう」な気持になる。 「自分の叔父でありながら、どうしてこんな人がいるのだろうか」と不思議でならず、「その生きざまと、人となりが、世に知られれば」と願わずにいられなかったから、協力を申し出たのだそうだ。
まどさんの石田道雄さんは、昭和4年に台北の工業学校土木科を二番で卒業し、慣例で首席と二人、台湾総督府に採用された。 当時駆け落ちして、台中付近の道路建設の現場事務所に、まどさんを頼って行った廖さんの思い出話を阪田さんが台湾へ行って聞いている。 まどさんは、廖さんの奥さんを事務所のお手伝いに採用し、豚小屋に住む廖さん夫妻に自分の新しい蚊帳を貸してくれた。 植民地だった台湾で、まどさんは若いのに、日本人と台湾人とを別け隔てしない稀有な人物だった。 心臓発作で入院中の病院なので、心配して「力を入れずに話して下さい」と頼む阪田さんに「入れざるを得ないです!」と廖さんは、もっと大声を出した。 「信仰を生活化した人物です」と、廖さんは繰返し、まどさんのおかげで日本や台湾といった国(廖さんの言葉で「人類」)を超越しなければならないと気がついたという。 廖さんは、医者になった。
『THE ANIMALS』にもある「いいけしき」という詩には、水平とか垂直といった言葉が出てくる。 『まどさん』を読むと、それは作者が土木科でトランシットを覗いた影響だとわかるのだが、私は遠く地平線にマッチ棒の頭のようなドームのある塔が立っている、静かで平和なルオーの絵を思い出した。 人間も動物も平等に「この平安をふるさとにしているのだ」と、まどさんはこの詩をしめくくる。 どこに行っても誠実で、最善を尽さずにおれないこの詩人にとって、人間はたいてい失望の対象でしかないのだけれど、動物たちも、野の草も、石ころも、それぞれに価値があり、尊いのだ、みんながみんな、心ゆくままに存在していい筈だと、まどさんはいう。
まどさんのような人にしか童謡が書けないなら、私はむろん落第だ。
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