福沢「分権論」の意義と可能性 ― 2025/05/29 07:01
「トクヴィルの分権論」。 二つの集権 : 政治的と行政的。 政治的集権がなければ国は分裂、しかし行政的分権を伴うと、過度な集権化により人民の自治の気風喪失。 英仏独の近代化の違い、英がいいとする。 アメリカ、各地が自治、ベスト。
福沢は、「分権論」に、「中央の政府は政権を執り、地方の人民は治権を執り、互いに相依り互いに相助けて、ともに国安を維持するの決定を得るときは、人々始めて日本国の所在を発見して、公私の利害、その集むるところの点を一様にする」 「今のときに当たりては、我が人民は国の所在を知らず」と、当事者意識を持てとした。
福沢の「通俗民権論」(1878)。 「地方にて人民が相談の上にて、井戸を浚え、芥溜(はきだめ)を掃除し、火の用心、夜廻の番を設け、作道を開き、土橋を掛け、宮寺を建立し、常夜灯を灯し、師匠を招待して町村の子供を教え(中略)、これらの相談につき町村の人民が寄り合い、入り用の銭米を取り立てその遣い払いをなして一町一村の便利を起こし」 江戸時代から、自治をやってきたのに、明治になって中央集権によって、それが消えつつあるとした。
そして「地方議会の必要」を説く。 「かかる国会を設けて各地方の総代人を集めんとするには、まずその地方にて人民の会議を開き、土地のことは土地の人民にて取り扱うの風習を成し、地方の小議会中よりそれぞれの人物を撰びて中央政府の大会議に出席せしめ、始めて中央と地方との情実も相通じて国会の便益をも得べきことなり」 まず地方で、旧士族が役割を果たす、地方議会をやり、それを国会へと段階を踏む、見事な議論。 福沢は、政府と違う筋道と段階を、見ていた。
「福沢の分権論の意義」。 「士族反乱から自由民権運動にかけての時期に、独自の地方論、帝国議会の開設(1890)に先駆け、日本の議会化を展望。」 「不平士族を地方自治を担う市民へと転換する大胆な発想、政治を担うメンタリティ。」 反乱については、心の中で持てばいい、暴力で解決するのではなく、自分たちの地域でやる。 治権はバラバラに、当事者意識を持って、自分たちの問題として、「ポリティカル・アイデアズ」を持ってやる。 遠大な考えだが、適切な考え方で、福沢の説いた通りになれば、日本の政治も別のものになったであろう。
最近の若い研究者には、地方政治が全国政治に先行したと、実証的に裏付けた研究もある。 前田亮介『全国政治の始動』(東京大学出版会)、松沢裕作慶應義塾大学准教授の岩波新書『自由民権運動』〈デモクラシー〉の夢と挫折。 江戸時代からの運動が、明治へとダイナミックに流れ込んでいる。
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