「森を守る村」 ― 2025/05/09 06:59
森を守る村
等々力短信 第468号 昭和63(1988)年7月25日
隠岐島の布施村が、朝日森林文化賞の優秀賞を受けるという6月27日付け朝日新聞朝刊を読んで、うれしくなり、すぐ布施村飯美の横田武さんに、お祝いのハガキを出した。 横田さんは、隠岐の自然と風土、その四季の移りかわりを、手書き謄写版刷りのハガキ通信「いいび便り」に綴って(ほぼ月一回)送り続けていらっしゃる。 私が『五の日の手紙』の本を出した時、息子の同級生のお祖父様である横田さんが、この道の大先輩であることが、わかった。 以来、「いいび便り」と「等々力短信」の交換をさせていただいている。 だから「隠岐」や「布施村」という字を見ると、とても親しい感じがする。
私のハガキに対して、横田さんは、さっそく「’88・7・1・天然林が森林文化賞に輝いた日に」という、ご署名入りの『造林始祖二百年祭記念誌』を送って下さった。 布施村は、昨、昭和62年11月3日、造林始祖二百年祭を挙行して、江戸時代の享保年間に、貧しかったこの村で、杉の植林の事業を始めた五人の人物に感謝状を贈ったのだ。 杉を植えることを教えた老医と、その教えを実践した当時の若者四人に、である。 その人々の先見と努力が、布施村林業の、ひいては隠岐島林業の礎になったためだそうだ。
「故 藤野孫一殿 あなたは 享保の昔 旧元屋村 原玄琢翁に教を受け 郷党相計り相扶け 荒地を開墾し杉の植林に 刻苦精励されました このことが 本村林業の先駆となり 経済基盤の確立ともなりました」。 布施村長の感謝状の「あなたは 享保の昔」という書き出しの文句には、感動した。 五人の始祖の子孫の人々が、島内はもとより松江や茨木、西宮から駆けつけ、揃って式典に参列しているのも、とてもよい。
隠岐布施村の、この話には、都会にあって、めまぐるしい変化にさらされながら、毎日を送っている私たちが、忘れてしまった大切なものが、あるような気がした。 なつかしい、あたたかい心がある。 なによりも「物指し」の長いところが、いい。 輸入材の方が安いからといって、日本中の森林を荒廃するにまかせておいて、いいはずがない。 森林の生育には、五十年、六十年という歳月を必要とすることを考える時、この「物指し」の長さは、とても大切なことに思われるのだ。
「伐採すれば、村はその利子だけで食っていけるが、山はもうおしまいだ」。 優秀賞の天然林について、大田正春村長はそう語ったそうだ。 村は超過疎で、財政もひっぱくしている。 それでもなお、天然林を守ろうという心意気が、すばらしい。
フェイクの海で「真実の島」になるメディアの責務 ― 2025/05/05 07:03
米CNNワールドワイドのCEO(最高経営責任者)のマーク・トンプソンさんは1957年生れ、かつて英BBCで会長を務め、2012~20年には米ニューヨーク・タイムズ(NYT)の社長兼CEOとして、デジタルの売り上げが紙媒体を上回るまで成長させた人で、23年10月から現職だという。 朝日新聞は3月13日の「インタビュー」で、マーク・トンプソンさんに、存在感を増すSNSと、トランプ政権下で強まるメディアへの圧力、揺れ動くジャーナリズムの未来について、話を聞いた。
フェイクニュースは、ある種の「うわさ」であり、SNSは「うわさ」を作ること、拡散することをより簡単にした。 そうした情報に人々の興味がかき立てられていることも、現実の一部だ。 大切なのは、メディアとして自らの価値を保ち、ブランドを目立たせ続けることだ。 そうすれば、フェイクニュースの海に浮かぶ「真実の島」になることができるだろう。
トランプ氏は、政権に批判的なメディアにしばしば攻撃的な姿勢をとっているけれど、政治家には発言の自由があり、我々の仕事はジャーナリズム、事実を報じるという本来の義務がある。 報道の自由は、米国憲法修正第1条で保障されており、守り抜くべきだ。 政府が編集方針に介入する国もあるが、それは米国の伝統ではない。 異なる報道機関が、ときに矛盾した選択をすることも、民主主義の多元性において強みとなる。 人々はその中で選択できるからだ。
CNNは米国の中で、最も政治的立場が多様な視聴者を抱えているメディアの一つだ。 むやみにリベラルなメディアとくくられることを、否定する。 我々の使命は、「何が起きているのか伝えること」であり、ニュースを届け、議論のプラットフォームとなるべきだ。
デジタル化は、視聴者が触れるメディアの選択肢を増やし、より柔軟で便利なものにした。 以前は、「何を見るか、読むか」は少数のテレビ局や新聞社によって決められていた。 既存メディアの寡占状態が崩れた今、変革が必要だと考えている。 視聴者がどのようなメディアを利用しているかをよく観察し、ニーズに応えることだ。 従来の視聴者は貴重で、きちんとサービスは提供すべきだ。 NYTも、CNNも、従来のサービスを効率的に提供しつつ、デジタル事業に資本を移動させようとしている。 変革の一方、真実のために政府や権力機関の責任を追及し、公正であろうとするジャーナリズムの信念は変わらない。
昨年、ニュースサイトにペイウォール(課金制)を試験的に導入した。 ユーザーが一定回数以上のニュースを見ると、月額3・99ドル(約600円)の支払いを求める仕組みだ。 米国では人々は伝統的にお金を払って新聞を読んできた。 それは、質の高いオンラインニュースでも同じだということを、思い出してほしい。 多くのユーザーが無料でニュースを見ることができる状況でも、CNNのプラットフォーム全体には毎月、約1億6千万人が訪れており、ライトユーザーが購読者になりうると考えている。
CNNでは、コンテンツ戦略にAI(人工知能)の活用を模索している。 一方で、人間らしい報道を失いたくない。 AIは大量のフェイクニュースを生み出す可能性もあるが、AIを訓練し、真偽を検証するプロセスに活用することができる。 衝撃的な映像があるとき、AIの手も借りて私たちが検証し、「これが真実だ」と伝えるといった使い方を重視している。
エマニュエル・トッドさん「敗北する米国 日本は静観して」 ― 2025/05/02 07:03
朝日新聞の「インタビュー」は2月26日、昨年『西洋の敗北』を出版した仏人類学者・歴史学者エマニュエル・トッドさんの話を聞いていた。 見出しは「敗北する米国」「ウクライナで失敗 社会は退廃的に 産業再建は手遅れ」、さらに「世界史の転換点 地政学的な対立も 日本は静観して」だった。
『西洋の敗北』は22カ国で出版されているが、英国でも米国でも英語圏での翻訳の話すらないのは、英米にとって不愉快で核心を突いた内容を含んでいることを物語っていると感じている。 ロシアによるウクライナ侵攻は、事実上ロシアと米国の戦争で、米国はロシアに対して屈辱的な敗北を経験しつつある。 米国が主導した経済制裁が失敗し、ロシアは持ちこたえ、同盟国であるドイツなど欧州の方が(ロシアの天然ガス供給カットなどで)より深く傷ついた。 そして2023年のウクライナによる反転攻勢など、米国が支援した軍事作戦が失敗したことが、今日の結果を招いた。
トッドさんが、米国の敗北を見てとった大きな理由は、米国の産業システムがウクライナに十分な武器を提供できなくなっていたことだ。 日本やドイツと異なり、米国はエンジニアになる若者の割合が非常に低い。 一方、皮肉なことにロシアは経済制裁によって自国の産業を復活させ、(クリミア半島を一方的に併合した)2014年以来、制裁に供えて金融システムなども独自の体制をつくっていた。
トッドさんは、乳幼児死亡率などのデータを基に、1976年に15年後のソ連崩壊を予測したことで知られている。 乳幼児はどこでも、社会の最も弱い存在なので、それだけに、それぞれの社会の状態を理解し、評価するのにとても重要な指標なのだ。 その乳幼児死亡率は、ロシアでは00年から急速に改善し、20年にはロシアよりも米国の方が死亡率が高くなった。 米国国内の地域的な分析も、非常に興味深い。 日本は相変わらず、世界でも最も低い死亡率を誇っていることに変わりはない。
現代の米国は、かつてのようなプロテスタンティズムの国ではない。 「プロテスタンティズム・ゼロ」「宗教ゼロ」に向っていると思う。 それは社会、経済、教育など多方面に大きな影響を与えている。 それによって、米国社会は虚無的で退廃的になっている。 トランプ氏も、イーロン・マスク氏も、退廃的なデカダンスだろう。
保護主義そのものには反対しないけれど、トランプ氏の保護主義政策は成功しないだろう。 関税をかけて外国から製品が入らないようにするだけでなく、国内でその製品をつくれる産業を育てなければ、国民は幸福にはならない。 米国がウクライナに必要な武器を生産・供給できなかったことと同じ現象だが、米国は国内産業を再建できない状態だ。 当面は手遅れだ、なぜなら、技術者や熟練した労働者がいないからだ。 米国は繁栄し、株価も高く、一部の米国人はとても裕福だ。 しかし、ものをつくっているからではなく、ドルという世界的通貨を発行しているからだ。 ドルの力が強いので、逆に中国を始めとした他国の産業に依存してしまうし、優秀な若者は(製造業以外の)より多くの収入を得られる分野に流れてしまう。 米国の繁栄は、国外の産業や労働力に頼っているのだ。
屈辱的な経験をする米国は、本来はより大切な存在になるはずの弱いパートナー国に対して、まるでいじめっ子のような態度に出ることが予想される。 日本は、当面は、静かに目立たないようにすべきだ。 欧州も、ウクライナの経験から、米国やロシアとの関係を見直すことになるだろう。 また米国は、中国との対立を激化させるかもしれない。 日本にとっても大変難しい状況だが、それでもできるだけ対立には関与しないようにして、自国の産業システムを守ることだ。
日本は、地政学的な対立に積極的にかかわるのではなく、米国が衰退する世界のこれからを慎重に見守ることが大切だ。 奥ゆかしく、謙譲の精神にあふれたみなさんにとっては、むずかしいことではないと思う。
江渕崇さんの「アナザーノート」「働く尊厳軽んじたツケ 世界の危機」 ― 2025/04/26 06:59
21日の朝日新聞夕刊「アナザーノート」は、江渕崇経済部次長の「働く尊厳軽んじたツケ 世界の危機」だった。 「コロナ危機以来の世界的不況に陥るかどうか、その瀬戸際に私たちはいる。なりふり構わぬ「トランプ関税」の連打のせいだ。人類が膨大な犠牲の上に築いてきた民主主義の土台をも、トランプ米大統領は突き崩そうとしている。」と、始まる。 なぜ、このような人物が、2度も大統領に選ばれたのか――。
「ハーバード白熱教室」の政治哲学者、同大学のマイケル・サンデル教授は、「単に経済的に苦しいだけでない。エリートが自分たちを見下し、日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の不満や憤りが、トランプの成功の根本にあります」と、インタビューに答えた。 お金だけでなく、名誉や承認、敬意の欠如、つまりは「尊厳」をめぐる問題である。
困難に打ち勝つには、大学で学位を取り、高給の仕事にありつくこと――。 民主党主流派やリベラル派が発したのは、個人の上昇志向と社会の流動性に解決を求めるメッセージだった。
しかし、そこには「暗黙の侮辱」が潜んでいたとサンデルさんは喝破する。「新たな経済で苦労しているなら、失敗は努力を怠った自分のせいだという侮辱です。逆にエリートは傲慢にも、成功を自身の能力の当然の報いだと考えました」
人々の屈辱感につけ込んだのが、エリートを表向きに敵視してみせるトランプ氏だったというわけだ。
江渕崇さんは、10年近く前の英国の若手コラムニスト、オーエン・ジョーンズさん(『チャヴ 弱者を敵視する社会』の著者)の、「メディアや政治は『チャブ』と呼ばれる労働者階級の若者たちがいかに怠惰で無能か、そして文化的に堕落しているというイメージを、執拗に振りまいてきました」という話を思い出す。 粗野な言動をする若い労働者の蔑称が「チャブ」、「彼らを『悪魔』にしておくことで、失業や低賃金といった本来は政府や社会が向き合うべき問題を、個人の能力や努力の問題に矮小化できたのです」。 あらゆる職業が世襲に近くなって、自身の英メディア業界でも、トップ記者100人の半分以上は有名私立高校の出身者、政・財・官界はもちろん、ロックスターまでエリート校出身者が目立つようになった。 封建制ならば親の職業がほぼ自らの職業になる。 職業選択は今や自由だから、不遇ならば、それは怠惰な自分のせいになってしまう。 存在が「悪魔化」されたことへの怒りやうっぷん、やっかみといった感情が、様々な形で噴き出していくだろう、極右、極左、ナショナリズム、「そう遠くない将来、これらが暴発するのではないかと恐れています」と警告していた。
オーエン・ジョーンズさんの警告は、サンデルさんの指摘と重なる。 約10年前に始まったトランプ現象は一時的・局所的な「逸脱」ではなく、「新常態」として現前する。 隘路を脱する糸口はどこにあるのか。
サンデルさんは、共同体に貢献する「生産者」を重視すべきだと話す。 主流派の経済学は「消費者」の利益を目的としてきた。 自由市場や自由貿易は最も安い商品を人々に届けることを可能にし、消費者全体の利益になると正当化された。 しかし、その代償として「生産者としての米国人に、深刻な打撃を与えてきた」(サンデルさん)。 中西部の工業地帯の労働者が典型例だ。
トランプ関税が、本当に米国民に利益をもたらすのかは怪しい。 ただ、「あなたたち生産者のことを考えている」というアピールにはなる。 その限りでは政治的に合理性がある。
サンデルさんは、リベラル派こそ「人々の不満や無力感の根源に立ち返る必要がある」と言う。 もし問題が「尊厳」をめぐる不平等ならば、富の再分配では不十分ということになる。
ナショナリズムに訴える右派は、人々に同胞としての承認を与える政治にたけている。 それとは別の回路で、社会に貢献する「生産者」の尊厳をどう取り戻すか。 リベラル再生に避けて通れない試練だろう。
この「アナザーノート」、なぜトランプのような人物が、2度も大統領に選ばれたのかについて、重要な指摘がなされていたので、長々と引用した。 それぞれの問題について、明日から考えてみたい。
蔦重の仕事で、𠮷原と遊女は「江戸文化」そのものに ― 2025/03/30 08:03
蔦重は安永3(1774)年、北尾重政の画で遊女を花に見立てた『一目千本』を刊行した。 田中優子さんは、この本は明和7(1770)年に高崎藩士で洒落本作家の蓬莱山人が出した、江戸の有名人を生け花に見立てた『抛入(なげいれ)狂歌園』の踏襲であり、遊女は花に見立てられる江戸の著名人の仲間入りをし、𠮷原と遊女は蔦屋の仕事を通して、「江戸文化」そのものになって行った、とする。 「花魁(おいらん)」は、花のさきがけという意味だ。 1760年代に、「太夫」という位が消滅し、「おいらん」はその後に出て来た言葉だが、「花魁」の字が当てられたのは明和7(1770)年より後で、花に見立てるということが出版上でおこなわれ、その結果として「花魁」という文字が出現したと考えることも可能なのではないだろうか、と言う。
『一目千本』は「出版物に付加価値を付ける」ことの延長線上にあり、さらに、吉原を文化的な天上世界に押し上げる意図を持って編纂された、と思われる。 吉原では売春が行われていた。 これが現実だ。 しかし、吉原では同時に、吉原芸者という、日本の芸能史上にその実力を刻む芸人たちがいた。 さらに、巷では次第に軽視されてゆく日本の年中行事が、吉原独特のかたちで継承され守られていた。 また、吉原と芝居町には茶屋という「もてなし」の最高峰が形成された。 日本の「もてなし」は、これらの茶屋を通して今日に至るまで受け継がれ、それは他国の追随を許さない。 蔦屋重三郎は吉原の醜さも素晴らしさも知り尽くしていた。 だからこそ、出版によってそれを江戸および日本文化の代表となし、さらには芝居も、それに並ぶ日本文化の象徴としたのではないだろうか、と田中優子さんは書いている。
『一目千本』には、これから刊行される本の広告が載っている。 現在でも日本の書籍ではよく見られる、本に別の本の広告を載せることが、蔦屋から始まった新しい戦略であることはすでに指摘されているが、田中優子さんは管見では世界でも初めてのことではないだろうか、本を広告媒体とした世界初の事例かも知れない、と。
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