谷根千と美校・音校2005/09/12 10:31

 谷根千、谷中、根津、千駄木の界隈には、東京芸大、古くは美術学校、音楽 学校につながりのあるお店や史跡がある。 朝倉彫塑館の前から言問通り角の 下町風俗資料館(旧酒屋吉田商店)へ行く通りの右側に、目立たない小さな店だ が、都内ではほかに一軒、あと千葉と広島の合計四軒しかないという洋筆を手 造りする、タカヤマ画材店がある。 森まゆみさんの『谷中スケッチブック』(ち くま文庫)によると、もともと筆屋だった先々代が明治初年にオランダあたりか ら輸入された洋筆を分解し、自分なりに工夫して造り始めたのだそうだ。 毛 で一番高級なのはセーブルといういたちの尾っぽ、ほかに豚、馬。 小絲源太 郎、小磯良平、高田誠、須田剋太なども、お得意だった。 筆は手早く筆洗オ イルで絵具をよく取って、石鹸で根元を洗わなくちゃダメだという話を読んで、 私は父がまめにやっていたのを思い出した。

 斜め向かいの愛玉子(オーギョーチ、台湾の寒天風デザート)という店の、店 名は藤山一郎がつけてくれたそうだ。 この店の常連には、ほかにサトウハチ ロー、四家文子、関鑑子、長門美保、小磯良平、中川一政、橋本明治、東山魁 夷、朝倉文夫、中原悌二郎などがいたらしい。

 寺町から藍染大通りの方へ行くのに下った急坂、途中に猫グッズの店のあっ た三浦坂だが、モデル坂とも呼ばれていた。 これは『不思議の町 根津』で 読んだのだが、坂の上に美術学校の洋画のモデルさんを選んで頼む、なぜだか 「モデル市が立つ」といっていた宮崎という家があったかららしい。 あそこ へ行けば塀の節穴から裸の女が見えるって評判で、近所の悪童が中学生になっ て色気づいて、行ってみたら、障子が閉まっていてガッカリしたという談話が ある。