イスラムの大建築家シナン2005/09/25 06:30

 夢枕獏さんの「奇想家列伝」は、第七回でまったく聞いたことのない人物の 話になる。 題して「シナン 神が見える家」。 ミマール・シナン(1488-1588) は、16世紀オスマン帝国最盛期の建築家、トルコのイスタンブールなどに477 もの名建築を残した。 夢枕さんは、シナンの建てたモスクが、「神とは何か」 という問いに答える建築、芸術作品であり、「神が見える家」だという。

 シナンはカッパドキア(トルコ)に生れたキリスト教徒だったが、イスラム教 徒としての教育を受けるためイェニチェリという軍隊に入り、工作兵となった ことが後の建築家としての基礎になった。 スレイマン帝に従って各地に遠征 し、臨時の橋や砦や船をつくり、天才的手腕を見せた。 50歳でオスマン帝国 の首席建築家となったが、千年前にキリスト教徒が建てたアヤ・ソフィアの直 径31m、高さ56mの巨大なドームは、イスラム教徒の千年来のコンプレック スであり、それより大きな建物を建てることは、オスマン帝国の悲願であった。

 シナンは69歳でスレイマン帝のためにスレイマニ・モスクを建てる。 50 以上の空前の華麗な大建築から成り、敷地面積は5万5千平米と世界一を誇っ たが、ドームはアヤ・ソフィアを超えることができなかった。 建築は全ての 芸術を包括する“箱”で、シナンと同時期、優れた芸術家、タイル職人がどん どん出てきた。 タイルのブルーや、チューリップ模様の赤は、この時代にし か出せない色だった。

 シナンは87歳の時、北部のエディルネにセリム2世のためにセミリエ・モ スクを建てる。 ドームの直径は32m、アヤ・ソフィアを1m超えて、悲願は 達成された。 夢枕獏さんは、神を描くには全き球が必要で、八角形の建物を 建てるにも高度の数学が必要だという。 植物の幾何学模様と文字で飾られて いて、キリスト教の寺院と違って、偶像がまったくない。 人間のざわめきが ない。 太陽がある限り、ドームの何処かから光が差し込んで来る。 夢枕さ んは、セミリエ・モスクの中で、こう感じるのだ。 神とは何か、光である。  神はどこにいるか、数学の中にいる。 そして、神はどこにでもいる。 それ をよりよく見るために、こういう建物が必要なのだ、と。

知るを楽しむ『隠居学』<等々力短信 第955号 2005.9.25.>2005/09/25 06:32

本屋さんでレジにいたら、おばあさんが「NHKの『知れば知るほど』の本 はどこですか」と訊いていた。 7月の短信に書いた『知るを楽しむ』という 番組のことだろうと思った。 この番組、なかなか面白くて、その後も工藤美 代子さんの《なんでも好奇心》「TOKYO1945 接収された建物とお屋敷の物語」、 夢枕獏さんの《この人この世界》「奇想家列伝」などを見ている。 「奇想家列 伝」の安倍晴明に「八咫烏」が出てきた。 私は大河ドラマ『義経』で熊野水 軍の田辺別当湛増が義経に差し出したのが、熊野権現の裏がカラス模様の牛王 宝印の誓紙なのを見て、落語の女郎が馴染み客に出す「起請文」に使われる紙 だなと思った。 さらに「八咫烏」から「八咫鏡」を連想して、ふと今「三種 の神器」はどこにあるのだろうかと考え、「小人閑居日記」で探索してみた。 「知 るを楽しむ」とは、まさに「等々力短信」「小人閑居日記」の世界なのだった。

初めの本屋さんで手に入れた本は、加藤秀俊さんの『隠居学』(講談社)で、 副題に「おもしろくてたまらない ヒマつぶし」とある。 加藤さんはすべて の公務から解放され、半世紀夢に見ていた「隠居」になられた。 到来物の「韃 靼そば茶」から連想し、タタール族、タルタルステーキ、そばの産地や消費地、 フランスのブルターニュ地方のクレープはそば粉でつくり、フランス語でそば のことを「サラゼン」という、サラセンはタタールと同じ東方のことだと進み、 韃靼に戻って司馬遼太郎さんの『韃靼疾風録』を読み直し、清朝、呉三桂の乱 へと、調べ物が展開する。 連歌のように、ダラダラとつづけてゆくのが「隠 居学」の真髄、おもしろくてたまらない。 なんの役にたつかと問う人がいる が、なんの役にもたたない。 このなんの役にもたたないことに、どういう意 味があるのか。 ひとことでいえば、知らなかったことを知るよろこびがある からだ。 いたるところに新知識があり、思いがけずに新発見することがある、 という。

 加藤秀俊さんよりは、だいぶ若い上に、まったくろくな仕事もしていなかっ たのに、私も恥ずかしながら「隠居」の身の上になった。 責任がないという ことが、こんなに気楽なことだとは思わなかった。 ずっとつましく暮してき たおかげで、特に暮しを変える必要もなかった。 大きな声では言えないが、 年金生活というもの、何かと同じで、三日やったらやめられないのだった。 感 謝の気持を忘れずに、年金制度の安泰を祈りつつ、「隠居学」の亜流をせいぜい 楽しみたいと思っている。