丸善・日本橋店の新生オープン、丸善と福沢 ― 2007/03/09 07:45

今日3月9日、丸善の日本橋の店が新生オープンする。 丸善は、明治元 (1868)年11月早矢仕有的が、横浜新浜町に書店「丸屋」を開業したのが始 まりである。 丸屋の名は福沢などとも相談して、世界を相手に商売をすると いう意味で地球の球の字をとって命名したものという。 翌明治2年2月に「丸 屋商社之記」を発表し、書物、医薬品等を商う丸屋商社として正式に発足した。 日本橋店を現在地に出したのは、その翌年明治3(1870)年のことだそうだ。
川崎勝さんの「福沢諭吉の経営者観―福沢諭吉書簡を中心に―」で、福沢と 丸善との関わりにふれた中に、明治5年4月15日付の丸屋善蔵宛書簡という のがあった。 「丸屋善蔵」という人物がいたと思われるだろうが、実は、い なかった。 『福澤諭吉書簡集』第一巻で、その手紙の註を見ると、「「丸屋善 蔵(まるやぜんぞう)」は丸屋商社の大阪支店の店名であり、この名前の特定の 人物はいないが、ここでは早矢仕有的をさす」とある。 『書簡集』には、「丸 屋善蔵」宛書簡があと一通、ほかに「丸屋善七店ニテ 早矢仕有的様行」や「丸 屋善八内 桜井恒次郎様」などという表書きの書簡がある。
福沢と丸善の関わりについては、『書簡集』第一巻の補注〈ひと〉14の「早 矢仕有的」が、その全文を引用したいほど、過不足なく伝えてくれている。 こ こでは「丸屋商社之記」についてだけ引いておく。 「「丸屋商社之記」は、貿 易・実業の緊要性を唱え、また「元金社中」(其元金を出す人)と「働(はたら き)社中」(其身を容るゝ人)により成り立つ会社という新たな組織形態を目指 すことを宣するものであり、当時の福沢の思想と軌を一にするものであった。 執筆者については、『(福澤諭吉)全集』は福沢としているが、『丸善百年史』は、 有的の考えをよく理解した沢井秀造の執筆か、あるいは有的または沢井の起案 したものに福沢が手を入れた可能性があるが確定できないとしている。」
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