生志の「お見立て」 ― 2010/07/26 06:50
生志、「小さん一門会」のようだというけれど、複雑な心境だという。 談志 に入門した時には、談志はもう小さんに破門されていた。 寄席の楽屋で、小 さん師匠に談志の弟子の笑志(当時)だと、挨拶したことはある。 「オッ」 と言われた、「オッ」は一貫していたわけだ。 立川流は寄席(定席)に出られ ない。 師匠の談志は「出ない」といっているけれど、向うは「出さない」と いう。 大人になってきたら、どっちもどっちだと思う。 師匠のところに住 み込んで、師匠が指二本チョキと出せば、タバコと灰皿だ。 ちゃんと灰皿も 出さないと、大変な事になる。 タンがからむ。 死にそうになるが、なかな か逝かぬ。 左手にティッシュ、右手にゴミ箱、噺家に入門したというより、 介護のホームヘルパーになったようなものだ。 仕事というのは何をやっても 大変だ。 仕事がなくて、落語家にもならないとなると、何をやるか。 先日 も、コンビニ強盗をやるのに拳銃が欲しくて、包丁を持って交番に入ったとい うのがあった。 コンビニ強盗というのは、包丁ではやれないんでしょうかね。
若い者(もん)の喜助、喜瀬川花魁が流山から来る杢兵衛大尽はゲジゲジ虫 より大嫌い、その座敷には出ないというので、間に入って大変だ。 病気だと いうと、見舞うという。 郭法(かくほう)で見舞えないというと、「末にはヒ ーフーになるという起請文をもらっている」、主さん(楼主)に話をすると来る。 喜瀬川は、起請文なんて百本でも二百本でも書く、と。 二か月お大尽が来な かった間、恋焦がれて死んだことにすると、なぜ手紙をくれなかったかとなる。 本人は女名前の手紙をひかえ、喜助はお大尽の住所の書付を、たまたまゲジゲ ジ虫が出て来たのをつかんで、火鉢の火の中に…、パァーッと燃えた。 カム チャッカとかオホーツクとか言えばよかったのに、山谷と言ってしまって、結 局、山谷の寺に墓参りの案内をするはめになる。 たくさんの花で墓を隠し、 松明のような20束の線香を煽いだ煙幕でごまかそうとするのだが…。 案内 する墓が「天保三年アンオウ信士」だったり、「シネン童女 享年三歳」、そして 「故陸軍歩兵上等兵」だったりする。 ずらり並んでおりますので、よろしいのを お見立てを。 生志というので、期待したほどの、出来ではなかった。
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