江藤省三監督が変えたこと ― 2011/06/19 05:53
プロ経験者の大学監督就任は、2005年の制度改革によって道が開かれた。 江藤省三監督は一昨年秋のシーズン終了後、東京六大学としては初めてのケー スとして慶應の監督となり、昨年春のリーグ戦でいきなり優勝を果たした。 慶 應としては、11シーズンぶりの優勝、それも全員未勝利だった投手陣(竹内大、 福谷、田中、田村)での優勝だった。 秋のリーグ戦は、早慶戦でドラフト1 位トリオとなる斎藤祐、大石、福井の三投手を打ち砕いて連勝、昭和35(1960) 年の六連戦以来の早慶の優勝決定戦に持ち込んだ。 8回、斎藤祐樹を打ち込 んであと一歩のところまで行ったが、投手がいなくなって、惜しくも優勝を逃 した。 そして、今シーズンの優勝と、全日本大学野球選手権決勝戦での惜敗 である。 東京六大学での、慶應の黄金時代さえ予感させるではないか。 江 藤省三監督は、慶應の何を変えたのだろうか。
いきなり「目標は日本一だ」と、選手たちに言って、練習量を格段に増やし た。 『三田評論』(2010年6月号)の加藤太郎さんのインタビューに「就任当 初の十一月、十二月はバッターは素振りしかやっていないんです。これは何だ と思われていたけど、一万本、二万本振ったら、二カ月後の打球は全然違うん だと実感させたわけです。それでようやく「あいつの言うことは本当だ」とな るわけ。守備練習も同じで、五、六、メートル前からくるゴロを取るだけのお もしろくないことが大事だと言っても、やっぱりはじめの一カ月、二カ月はわ からなかったね」と。
優勝後、朝日新聞の坂名信行記者に「つまらなかったと思うよ。でも、基礎 ができていないのに枝葉をつけたら、頭でっかちで倒れちゃうでしょ」と話し ている。 キャプテンだった湯本達司も「監督の話を聞いて、プロでもこれだ けやるんだとカルチャーショックを受けた。監督についていこうと思った」と 語っている。
先だっての犬山、木曽川鵜飼を企画してくれた川松保夫東海税理士会会長か ら、彼が江藤省三監督と「新春対談」をしている今年元旦の『東海税理士会報』 第601号をもらってきた。 日吉の野球部合宿所で、監督が川松君を案内して いる写真があり、壁の小泉信三さんの「練習ハ不可能ヲ可能ニス」の書を、監 督が指し示していた。
最近のコメント