大震災と「ジャーミネーターの会」2011/06/21 06:27

 17日、6月の第3金曜日は、恒例の慶應三高校の新聞部OB・OG会、「ジャ ーミネーターの会」だった。 第21回の今年は、われわれの年代が幹事の年、 しかも志木高の私が「幹事長」役ということで、1月からいろいろ準備をして きた。 途中で東日本大震災が起き、開催するか否かを検討、被災していない 地域では、日常生活を取り戻すことが、日本全体にとって必要であろうと一致、 開催に踏み切った。 大震災関連の話を聞きたいと、いち早く医療チームを派 遣した慶應医学部の線を当たっている中で、この会のメンバーの医学部出身者 が、同期の毎日新聞・主筆、岸井成格(しげただ)さんを講師に紹介してくれた のは、有難かった。 テレビで政治問題の解説や評論をしている、白髪、口髭 のお姿は、お馴染みだ。 演題は「震災後の混迷日本政局と経済再建の行方」。  この講師と、時宜を得たテーマのおかげで、50名と空前の参加者数となった。

 お役目で、口下手を断って司会し、まず大震災の被災者と、昨年来の物故者(一 人は同期の荒木幸生君で、昨年の会には杖をついて来ていた)に、「思い」をこ めて黙祷。 岸井成格さんと福沢の関係を紹介したあと、「福沢諭吉と震災」に 触れた。 私は佐高信(まこと)さんの『福沢諭吉伝説』(角川学芸出版・2008 年)の「あとがき」で、岸井さんが日吉の塾高で福沢研究会を主宰したこと、お 二人が法学部峯村光郎(てるお)ゼミの同期だということを、読んでいた。 岸 井さんが北里病院に入院中、担当医から土屋雅春『医者のみた福沢諭吉』(中公 新書)と山崎光夫『北里柴三郎』上下(中公文庫)をぜひ読めとすすめられた、佐 高さんが見舞いに行ったら、読み終えたからと、それらをくれたのが、『福沢諭 吉伝説』を書く重要なヒントになったというのだ。

 福沢諭吉は、明治21年の磐梯山噴火、明治24年の濃尾地震、明治29年の 三陸大津波に際して、『時事新報』による義捐金の募集活動を始めとして、被災 地の支援に尽力した。 『三田評論』6月号の特集「福沢諭吉と震災」で、福 沢研究センターの都倉武之講師が福沢の書いた『時事新報』社説を紹介してい るのが、よくまとめられていて、素晴らしい。 そこから、一つ「受け売り」 をした。

 明治24年10月28日の濃尾地震、M8.0、死者7,232名。 11月8日社説「震 災の救助は政府の義務にして、これを受くるは罹(り)災者の権利なり」。 税金 は、政府の義務の報酬、保険料ともいうべきものだ。 そうであれば、罪なく 災厄(さいやく・災難)を蒙ったこのたびの被災者は、政府が力を尽くして護る 義務があり、被災者にはそれを請求する権利がある。 迅速が何より大切、「ス ピーディーに」国庫金を出せ、他の地方予算を回せ。  ほかにも11月18日社説「義捐金及び物品の分配」がとてもいいのだが、長 くなったので、岸井成格さんに講演を始めていただくことにした。