「自由で明るい」中等部2011/06/29 06:23

 中等部に来るまで、6日もかかってしまった(笑)。 中等部で白衣、理科系 のうわっぱりで、解説に登場した大澤輝嘉先生が、中等部(そして慶應義塾)の 自由な雰囲気をよく伝えて、とてもよかった。 『三田評論』の「慶應義塾史 跡めぐり」などで、お名前はしばしば拝見していたが、数学がご担当だそうだ。

 中等部の本館玄関の両脇に、中等部のシンボルともいうべきユニコン像があ る。 27日に書いた大講堂だが、大正12(1923)年の関東大震災で一部が壊れ、 その修理に伴って、3階のバルコニーに一対のユニコン像が飾られた。 頭に 一角を備えていることからユニコンの名称で親しまれているが、ふつうユニコ ンは馬の額に螺旋状の長い角を持つもので、その姿はむしろパリ、ノートルダ ム大聖堂のガーゴイルを思わせる。 このユニコン像は、いつしか塾生・教職 員に親しまれるものとなっていた。 大講堂は空襲で大きな被害を受け、廃墟 のまま十余年、その姿をさらしていたが、一対のユニコン像は、その間も健在 だったらしい。 西校舎建設のために撤去された、ユニコン像のうち一体は芯 の鉄筋がむき出しで、額に大きな傷口がある状態で転がり、無残な姿を風雨に さらし、一体は行方すらわからなかったという。 昭和50(1975)年、中等部は 見捨てられたユニコンを譲り受け、26回生の卒業記念の寄附をもとに修復し、 もう一体は昭和53(1978)年、中等部の前身である慶應義塾商工学校同窓会から 当時美術科教諭だった三浦大和さん制作の複製が寄贈されたもので、かつての 一対の像が復活した。

 このユニコン像が玄関にある鉄筋コンクリート4階建ての本館は、谷口吉郎 の設計、義塾創立100年を記念して昭和31(1956)年に建設された。 手すりの あるベランダは、仕切りがなく自由に通行出来、柱の見えないほとんど全面の ガラス戸から出入りできる。 昭和22(1947)年開設当初から、文学部教授で初 代中等部長だった今宮新さん(中庭の唐かえでの蔭に胸像があった)のもと、「自 由で明るい学校」の建設につとめ、教員を生徒が「さん」づけで呼ぶ、教室に 教壇がない、制服がなく規則が少ないなどの特色が生れたという。 その一階 にある職員室にも、生徒の出入りは自由だという。 本館の建物と、ベランダに鈴 なりになった生徒たちが校庭の教員や友達と声を掛け合ったりしている様子は、 その校風を如実に物語っている。