「ブラタモリ」京都編、新京極と御土居2015/04/21 06:40

 4月11日から3年ぶりに、NHK総合の「ブラタモリ」が復活した。 同行 するのは、久保田祐佳アナから桑子真帆アナに代った。 去年の春、タモリが 毎日やっていた「笑っていいとも」がなくなったので、遠くにも出かけられる ようになったから、全国に出かけるという。 「高低差を見逃すな」「上を向く な、下を向け!」のロケ心得は変わらない。

予告編の「京都」の放送が1月にあって、首藤奈知子アナだった。 前半は 「京都」の近代化遺産。 南禅寺境内の水道橋に始まるインクラインと琵琶湖 疏水の話は、昔、駒敏郎著『日本魁(さきがけ)物語』(平凡社)の「青春の運 河」で21歳の青年技師田辺朔郎の活躍を読んで知っていた。 疎水末端の南 禅寺と蹴上の間、高低差の大きい二つの水路の間にレールを敷き、台車に船を 載せてワイヤーロープで引っ張って昇降させたのが、インクラインだ。 「ブ ラタモリ」では、そのレールがイギリス製の狭軌で、レールを枕木に固定した 釘が犬の頭の形をしていることから「犬釘」と呼ぶことをやっていた。 京都 の繁華街と聞いてはいるが、京都へ行っても行くことのない新京極だが、明治 5(1872)年に寺町の誓願寺など境内を整理して新たな道路を通し、つくられ た商店街だとは知らなかった。 なぜ寺町かというと、従来、縁日の露店や見 世物、芝居小屋の出ていた場所を商店街(かつては浅草六区のように映画館も 並んでいたらしい)にしたというので、納得したのだった。

もともと、ここに洛中の寺院を集めて寺町をつくったのは豊臣秀吉だそうだ が、後半は、近代でなくその秀吉の時代。 タモリ一行は、鷹峯(たかがみね) 付近を歩く。 タモリは、この辺が好きで学生時代によく来ていたそうで、森 田という家が多いとか言う。 「おいど」ではないという、御土居(おどい) という土手の端に出る。 ぜんぜん知らなかったが、天正19(1591)年に豊 臣秀吉が京都の周囲に築いた惣構(そうがまえ)である。 東は鴨川西岸、西 は紙屋川東岸、南は東寺、北はこの鷹峯付近を囲む、総延長22.5キロ。 一部 では土塁(土居)の高さ数メートル、堀幅20メートルに及ぶ、日本最大の都 市城壁である。 戦国時代の上京(かみぎょう)、下京(しもぎょう)の惣構を 否定し、京都を聚楽第中心の城下町に改変しようとする秀吉の京都改造計画の 一環として構築されたという。 東辺は鴨川治水のための堤防の機能も有して いた。 これによって御土居の内側が洛中、外側が洛外とされた。 京都の景 観を描いた「洛中洛外図」、室町時代のものなどは、あとから名付けた名だとい うことになる。 「御土居」という名称は近代になって一般化したもので、秀 吉の時代には「京廻ノ堤」「土居堀」などと呼ばれたそうだ。 江戸時代には、 竹材供給地として幕府が管理したが、近代以降、急速に崩され、いまでは国史 跡指定地など10か所余りを残すのみとなっている。

「御土居」なんて、まったく知らなかったので、復活「ブラタモリ」が楽し みになったのであった。

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