「宇崎竜童~船乗りだった父の思い」 ― 2018/07/09 07:07
NHKの「ファミリーヒストリー」で、誰だったか、父親が商船学校の出身 で、外航汽船に乗っていたが、家族を思って船を降り、陸上の仕事をしたり、 琵琶湖遊覧船に乗ったというような話を見た記憶があった。 大津と、京都の 伏見、両方の港町に関係し、芝居小屋や長谷川一夫の名が出ていたと思う。 「伏 見 芝居 琵琶湖遊覧船」で検索して、宇崎竜童がヒットした。 ダウン・タ ウン・ブギウギ・バンドで一世を風靡し、明治大学で出会った妻・阿木燿子と 組み山口百恵の黄金時代を支えた人である。(本稿、敬称略)
2016年2月16日放送の「宇崎竜童~ふたつの港町 船乗りだった父の思い ~」だった。 私は手書きの日記に、こう書いていた。 「宇崎竜童、昭和21 (1946)年生れ70歳。母方は、京都伏見の紙屋(今は従兄弟が文房具屋、ビ ンボウグヤと)、手広く営み、隣の劇場で長谷川一夫初舞台、その林家(?)の 仲人で、大津一の髪結いの息子と伏見稲荷で見合い。商船学校学生結婚、大阪 商船の外航船に乗るも、家族思い琵琶湖遊覧船へ。」
改めて、番組宣伝を見てみる。 伏見は京都、大阪に川でつながる港町、母 方は南條紙店、柿渋で防水した紙で茶袋を作り、全国に卸した。 明治36(1903) 年、竜童の母・きみが生れ、隣は長谷川一夫の叔父・宗次郎が営む芝居小屋だ った。 長谷川一夫は明治41(1908)年に伏見で生れ、きみと幼馴染だった。 竜童の父・又一郎の故郷は、滋賀県大津、琵琶湖水運の港町である。 膳所藩 士の娘、木村すえが竜童の祖母、手広く髪結いを営んでいて、宗次郎と親しか った。 すえの息子の又一郎は、商船学校に入学していた。 宗次郎の隣のき みと、伏見稲荷大社で見合いし結婚、大正12(1923)年、商船学校を卒業す ると、大阪商船に就職した。 外国航路のろんどん丸(7104トン・大正10(1921) 年建造)に乗っていたが、家族を連れて北海道の小樽に移り住み、船を送り出 す陸の仕事についた。 昭和17(1942)年、民間の商船は船員とともに国家 の統制下に置かれた、又一郎は海軍の予備中尉として東京で軍務につき、一家 は小樽を引き上げた。 かつて又一郎の乗った商船は、次々と戦没した。 き みは、伏見の実家に疎開し、又一郎は防空壕で暮らしながら、食料を背負って 訪ねてきた。 宇崎竜童は、終戦から半年後の昭和21(1946)年2月に伏見 で生れた。
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