エイブリー・ブランデージ、シャーマン・リー ― 2019/02/21 07:12
―アジアンアート美術館、シアトル美術館、クリーブランド美術館―
三人目のコレクターは、エイブリー・ブランデージ。 1941(昭和16)年 12月、真珠湾攻撃で日米が開戦すると、アメリカにいる日本人の私有財産は凍 結される。 山中商会の財産も1943(昭和18)年に没収され、1944年にはセ リにかけられる。 それを数多く買ったのがエイブリー・ブランデージ、シカ ゴの土地開発業者で、1912(明治45)年金栗四三の出たストックホルム・オ リンピックに陸上選手として出場していた男だった。 根付から絵画まで、そ のコレクションは、サンフランシスコのアジアンアート美術館の7700点の元 になっている。 狩野探幽《富士図屏風 三保松原屏風》視点を変えると、いろ いろな景色が見える。 長沢芦雪の《海月(くらげ)図》、這った線とカタツム リだけの《壁にカタツムリ図》、鬼才芦雪は新しい画風を切り拓いた。 《那智 滝図》は、大部分が白いままだ。 ブランデージは戦時中も、日本に暖かい気 持を持ち続けた。 森狙仙《猿図》、円山応挙《松竹梅図屏風》の立体感、柴山 是真《鹿蝙蝠図》、狩野氏信《鶴図屏風》この作品は長年一般公開されなかった が2014年大きな破損のいくつかを修復して公開された。 これらの絵は、山 中商会のニューヨーク支配人だった白江信三やブランデージといった守り神に よって守られ、散逸することなく、伝えられることになった。
四人目のコレクターは、シャーマン・リー、進駐軍の美術顧問官として来日、 シアトル美術館やクリーブランド美術館(1952年から)のキュレーターを務め た。 第二次大戦後から1960年代にかけて、財産税などの影響で、多くの美 術品が二束三文の値段で海外に流出した。 雪村の最高レベルの作品《龍虎図》 は、シャーマン・リーが購入して、オハイオ州のクリーブランド美術館にある。 酒井抱一《桐菊流水図》たらしこみで桐の幹が描かれている、円山応挙《柳に 鷺図》二曲屏風、渡辺始興《燕子花図屏風》金箔が池の水を表現、リーが尼寺 から一帖25ドルで買う。
シャーマン・リーは、1948年シアトル美術館副館長に就任した。 作者不明 《駿牛図》。 本阿弥光悦書 俵屋宗達下絵《鹿下絵和歌巻》山下裕二教授がア ニメーション的下絵、巻物を肩幅に広げながら見る、光悦宗達の幸せなコラボ レーション、と。 繭山順吉から5000ドルで話があり、リーは「一生に一度 の機会」と言ったが、館長が反対したため、リーはパトロンのフレデリック夫 人(ネルソンフレデリック百貨店の創業者夫人)に話をする。 夫人は室内で ロバを飼うほど動物好きで、この海外にある最も貴重な絵、いま日本にあれば 200万~300万ドルする絵が、シアトル美術館に入ることになった。 本阿弥 光悦《鶴草絵硯箱》5000ドル位、《駿牛図》《鹿下絵和歌巻》など、動物をモチ ーフとした作品は、全てフレデリック夫人の寄付によるものだという。
ハリー・パッカード、メアリー・グリッグス・バーク ― 2019/02/22 07:13
―メトロポリタン美術館、田島充、ミネアポリス美術館―
六本木、東洋美術専門のロンドン・ギャラリー、田島充が備前の壺に赤い実 をつけた枝を活けている、「花長」で花を買って…。 白洲正子に「天性の目利 き」といわれた田島充は、福井の骨董好きの医者の子で、少年時代、広田不孤 斎(壺中居創業者)の『歩いた道』という本に出合った。 1957(昭和32) 年21歳で上京、古美術商を始める。 そして五人目のコレクター、ハリー・ パッカードと出会う。 日本美術の錬金術師といわれるハリー・パッカードは、 元進駐軍の海兵隊員で、日本語がペラペラの目利き、200万~1000万円のもの を買う。 浮世絵のコレクションから入り、初めは贋物をつかまされたりした が、次第に腕を上げ、安く買ったものを高く転売して、歌川広重《花菖蒲に白 鷺》、《甲陽猿橋之図》、《名所江戸百景 王子装束ゑの木 大晦日の狐火》などの コレクションを充実する。
1963(昭和38)年秋、田島充はハリー・パッカードに誘われ、かなりの量 の美術品を持ち込み、サンフランシスコから、ロスでは4~5人のコレクター に売るなど、ワゴン車で数千キロのドライブをして売り歩く。 シカゴではホ テルのオーナーだったエイブリー・ブランデージが待っていた。 ブランデー ジはチョイスがよく、作者不明《阿弥陀来迎図》(アジアンアート美術館)など、 30何点かを買った。 その後、田島充はパッカードが何分の一しか支払ってく れない件で決別する。
ハリー・パッカードは、入手した美術品を高価で転売するやり方で、仏像、 工芸品から、絵画までのコレクションを充実させていった。 1975(昭和50) 年、メトロポリタン美術館に400点の購入を持ち掛ける。 戦後のどさくさに 京都の旧家から手に入れた狩野山雪《老梅図襖》もその一つ。 150万円で買 ったが、裏にも絵があり、その絵だけをすぐ150万円で売っていた。 400点 の内には、作者不明《集一切福徳三昧経》、長沢芦雪《山水唐人物図屏風》、円 山応挙《白鷺図》などもあり、言い値は1千万ドルだった。 結局、パッカー ド・コレクションの名を残すことで、500万ドルで取引は成立、パッカードは 金と名誉を手中にし、メトロポリタン美術館は全米有数のコレクションを手に 入れた。
山下裕二さんは、パッカードには、柴田是真《烏鷺図屏風》、俵屋宗達工房《月 に秋草図屏風》など、いいものを買おうという執念があり、目が利いて莫大な 利益を上げたが、基金をつくり、日本の若い美術研究者の奨学金を出し、自分 もその奨学金を受けて、アメリカにある日本美術を見て歩いたと言う。 日本人が見落としていたものが、アメリカにはある。 メトロポリタン美術 館は、日本美術の守り神とも言える。 酒井抱一《桜楓図屏風》、作者不明《叺々 鳥図屏風》。
六人目のコレクターは、メアリー・グリッグス・バーク、ミネソタの材木王 の一人娘、上品で、目利き、母親の持っていた着物に魅せられ、日本美術に興 味を持ち、何度も日本を訪問した。 伊藤若冲《月下白梅図》など、自然や動 物の絵を好んだ。 2012(平成24)年に亡くなり、1000点のコレクションを メトロポリタン美術館400点とミネアポリス美術館600点に分けて寄贈。 ミ ネアポリス美術館は、開館以来入場無料、円山応挙《芦雁・柳月図屏風》、円山 応挙《狗子図》、尾形乾山《白梅立葵図屏風》、森春渓《肘下選蠕》、バークの愛 した石山幽汀(応挙の師)《群鶴図屏風》、作者不明《大麦図屏風》地味なテー マを豪華に描いた素朴な風景を愛した、俵屋宗達工房《波に舟図屏風》。 バークのコレクションは1985(昭和60)年に里帰りし、東京国立博物館で「日本美術名品展 ニューヨーク・バークコレクション」が開かれた。
柳亭市弥の「芋俵」 ― 2019/02/23 07:15
20日は暖かかったが、夜は雨になるかも知れないという日で、第608回の落 語研究会だった。
「芋俵」 柳亭 市弥
「虱茶屋」 柳亭 こみち
「宿屋の富」 古今亭 志ん陽
仲入
「寄合酒」 三遊亭 萬橘
「芝居の喧嘩」 春風亭 一朝
市弥は垂れ目、寄席では泥棒の噺は縁起がいいという、客の懐を取り込むか ら。 泥棒で有名なのは石川五右衛門、その弟子に二右衛門半、そのまた弟子 は一右衛門、そのまた弟子が無(なし)右衛門で、本名は長十郎、生れは二十 世紀。 私はわからなかったんで、師匠の市馬が暇そうで、機嫌のいい時に、 この小咄について聞いてみた。 師匠は、ガキの時にラジオで聴いて大笑いし た、と。 で、どういう訳なんですか? 一週間、口を利いてもらえなかった。
私みたいな、間抜けな泥棒のお噺で。 兄ィ、世の中不景気で、泥棒も足の 洗い時かもしれない。 真面目にやっていれば、いいことがあるよ、政府だっ て黙っていない、補助金が出るかもしれない。 仕事なんぞ、どこにだってあ る、近所にも、隣町三丁目の木綿問屋、金持だ。 仲間内じゃあ、手をつけら れないという評判だ、奉公人が多くて、締まりが厳重だ。 中から開ければい いんだ。 空きの芋俵をお前と俺でかついで行く。 芋問屋で芋俵を買って来 たが、釣銭をもらうのを忘れたから取りに戻ろうって、大声で言うんだ。 預 かってもらえないでしょうか、と預ける。 取りに行かないと、心配だから、 店の中に入れるだろう。 俵の中には、お前がいる。 お前が先棒をかつげ、 俺が後棒をかつぐ。 無理だ、俺は昔から不器用だ、俵の中に入って、先棒な んかかつげない、役者が一枚足りないんじゃないか。 あそこに松公が行く、 あいつでいいな、少しポーーッとしているけど。
おーい、松公! アッ、泥棒! 本職つかまえて、言うな、すぐそこが交番 だ。 じゃあ、聞いてくらあ、今の、聞こえたかって。 馬鹿、いい仕事があ るんだ。 耳貸せ、お前が俵の中に入るんだ。 面白いね、ハハハ、泥棒しよ うってんだな。 仕事と言え。 泥棒の仕事。
狭いな。 さんだらぼっちをかぶせ、紐をかけて。 よいしょ、重いな。 よ いしょ、よいしょ、はいよ、はいよ! 俵の中は、足が痛いよ、外が見える、 タバコ屋のおばさんだ。 おばさーーん! キョロキョロしてる。 酒屋のシ ロだ。 俵から手を出すな。 兄ィ、すまねえ、芋問屋で釣銭をもらうのを忘れ ちゃった、この店の人に芋俵を預かってもらおう。
町内の若い者二人です、芋問屋で芋俵買って来たんだが、釣銭をもらうのを 忘れたんで、すぐ取りに戻りたい、芋俵を預かってもらえませんか。 それは 難儀なことで、ウチもすぐ店を閉めなければならない。 間に合わなければ、 明日の朝来ますから。 預かるとも預からないとも言わない内に、二人で置い て行く。
おい、貞吉、さっきの若い二人は来たか。 来ない。 その俵、店の中に入 れてくれ。 重いだろうから、転がして。 今、イテエ、イテエって、いいま した。 目が回るって、いいました。 貞吉が立て掛けたから、松公は俵の中 で逆さまになったが、ガマンした。
小僧と女中が話している。 ちょいと、貞どん、みっともないよ、コックリ コックリして。 お清どんも、お辞儀の稽古かい。 旦那がなかなか寝ないん だ、碁のお客さんの時は。 あのお芋を食べよう、薄く切って。 あたいが立 て掛けたから、お清どん、俵の間から手を突っ込んで。 ウエッ、このお芋、 あったかいよ、焼芋の俵かね。 おかしいよ、へこむよ、腐っているのかな。 またぐらをかきまわされた松公、グッと力を入れて我慢したから、大きいヤツ を一つ、ブゥッー!! ワァーッ、気の早いお芋だ。
柳亭こみちの「虱茶屋」 ― 2019/02/24 08:02
こみちは女流、ピンクの着物に、紫の袴、黄緑の帯締め。 落語研究会愛が 強く、パーマネントをかけてきたので、加藤登紀子観が増している、と。 ト ランプ大統領の嘘は8千を超えたと報じられた。 2年で8千なら、1年で4 千、半年で2千、3ヶ月で千、1ヶ月に………3百ちょっと、1日に10何個の 嘘、ということは、噺家と余り変わらない。
5歳の長男が、落語研究会のテレビでさん喬師匠を見て、男の人も落語やる の、と。 男の人で落語をやるのは、ウチの師匠(柳亭燕路)とこの人の二人 だけと教えた。 私は、この噺がやりたくて、やりたくてという噺をやる。 こ のために噺家をやってる。 この噺は、見ていないとわからない噺。 見立て 落ち。
先生、本を読んでますね、ここに来ると、利口になる、何か面白い話はあり ませんか。 人間五尺の体、手を広げても五尺、縦横寸法が同じ。 顔も同じ で、(親指と人差し指を広げて、長さを計り)横が一つ半、(下から)縦も一つ 半。 しかし私の顏は不思議だ、横が一つ半、縦は(一つのところで、口を開 けて)二ァーーつ。 いいことを伺った、さよなら。
源ちゃん! 人間てのは、おかしなもんだな。 人間わずか五尺の体、顔の 長さも五尺。 何か間違っているんじゃないか。 しかし私の顏は不思議だ。 お前は、いつも不思議だ。 横が一つ半、(指を下から)縦は一つーーッ(と言 ってから、口を開け)おーーーッ! 見ていないとわからない噺。
虱(シラミ)は、しがみつく、捻るようにしないと取れない。 爪と爪でつ ぶすか、歯でポチンとつぶし、プッと吐き出すかしないと、退治できない。 芸 者や幇間を上げる社長、変わった遊びはないかと、お金を出してシラミを買い 集めた。 地下道などにいる、業界で野外職業探索コンサルタントと呼ばれて いる人たちから。 シラミ一匹いくらで? って聞いたら、シラネーーッ、と。
瓶に詰めて、行きつけの料亭へ。 最近、神楽坂で浮気なさっているってじ ゃないですか。 二階の広間は空いているか。 風呂に入って、浴衣丹前に着 替えて、女中と一杯やっている内に、見番へ電話。 こんばんは! 梅奴か。 こんばんは! 松奴か。 こんばんは! 竹奴か。 冷奴に、一八、お前も来 たか。 先だっては社長、とんでもないいたずらで。 今日は、何も考えて来 なかった。
こないだの人、吉田不兼好さん、骨相に凝っていてね、吉田さんに教わった 骨相で、みんなを観てやりたいが、どうかな。 私を観て下さい。 私も! 私 も! 私も! わかった、わかった、騒ぐな、並んで、並んで、座って、座っ て。 みんな、向うを向いて、襟を出せ。 後ろを振り向かないように。 梅 奴、いい襟足してるじゃないか。 芸事がしっかりしている、来年の三月ぐら いに、いいことがある。 そんなことを言いながら、シラミの配給をしていく。 一番終いが、一八で。 十分に観てやろう、襟をついて。 お前は上げての末 の幇間だな、喧嘩っ早いところがある、我慢が大切だ。 お前は十分に観てや ろう。 社長、驚きました、大道で観てもらう当たるも八卦(だんだん痒くな って来る)よりよく当たる、中年からの芸人で。 私に、お盃を。 (一八、 痒いので、盃を持つ手がゆれる)何をお前さん、動いているんだ。 ご返盃を。 (一八、盃からシラミをつまみ出して、つぶす) (じっとしていられないの で、)踊りましょう、夜桜を。 アー、コリャ、コリャ! (踊りながら、背中 を掻いたり、懐に手を入れて掻いたり、首の下を掻いたりする。 扇子で、袖 のシラミを叩きつぶしたり、つまんだシラミを歯でポチンとつぶし、プッと吐 き出したりする) アー、コリャ、コリャ!
痒くて、痒くて。 みんな、痒い、痒い。 ご辛抱を。 社長、またやった ね。 さっき、一列に並んだ時、あの時ですね。 シラミを入れたんでしょう、 社長の左の袖口にシラミがゾロゾロ並んでいます。 いけない、瓶の口が開い ていた。 それごらんなさい、犯人が口を割った。
『二十五年後の読書』<等々力短信 第1116号 2019.2.25.> ― 2019/02/25 07:07
元麻布の邸宅の地階にあるカクテルバーは、上等な隠れ家の雰囲気を愉しめ る。 エレガントに暗く、ラウンジミュージックが静かに流れている。 バー テンダーのすすめる黒ビールから始めて、弱めにしてくれたジャクソンから、 華奢なカットグラスのグレタ・ガルボを頼む。 往年の大女優の名をとったカ クテルは結構強い。 マレーネ・ディートリッヒもあれば、ローレン・バコー ルやバーグマンもあって、強烈な個性をアルコールの度数の高さで、雰囲気を 色調で表現すると、蠱惑的なカクテルになる。
マニラから小型双発機で1時間半、スールー海に浮かぶクーヨー諸島の小島、 真っ白な砂浜に沿ってカシータと呼ばれるコテージが並んでいる。 室内は一 流ホテルのように美しく、常夏の情緒に溢れ、客のプライバシーに配慮しなが ら数人のスタッフがつく。 小島の周囲はラグーンの浅瀬で、無闇に広い平穏 があった。 大理石の浴槽に身を浸すと、島から島への運搬船だろうか、窓か ら沖をゆく船影が見えて長閑である。
私は、ビール一口で真っ赤になる下戸だ。 ああいう重力の法則に反するも のには乗るなと、ゼミの恩師に教えられたから、飛行機には乗らないようにし ている。 そんな私が、元麻布のカクテルバーやスールー海のカシータを体験 できるのは、読書のおかげである。 乙川優三郎さんの『二十五年後の読書』 (新潮社)に、三日間没入した。
もともと本読みだった二人が巡り合ったのはパラオのアラカベサン島、響子 が27歳の記者で、谷郷は35歳のカメラマンだった。 響子は新装した日系ホ テルの取材、谷郷は雑誌特集の撮影で来ていた。 仕事を終え、美しい珊瑚礁 の、千種を超す色鮮やかな魚のいる深い海でダイビングを体験した響子が、突 然パニックに陥ったのを助けたのが谷郷だった。 その夜、夕食を共にすると、 写真の秘術を面白おかしく語る谷郷は生き生きとしていて愉しく、誘われたバ ーでチチというココナッツミルクの白いカクテルを知る。 日本語が残るパラ オで「乳」を連想したが、シシ、ブラウスの胸のフリルを指すフランス語が語 源だった。 東京でも逢瀬を重ねるようになるが、二年ほどして谷郷が資産家 の次男で、妻帯していると知る。 谷郷は流行作家・三枝昂星になった。
気が付くと、浅はかな日々は二十年以上も続いているのだった。 響子はエ ッセイストになり、辛口の書評も書くようになる。 作家と書評家の恋だ、文 章論や文学論、読書の愉しみが、ちりばめられている。 老境のスランプに陥 った谷郷は、ベネチアで病床にある画家の妻のもとへ去り、書き下ろしの新作 に挑む。 生きる気力を失った響子はスールー海へ。 そこへ編集者が仮綴本 の書評を依頼に来る。 著者は大胆な仕掛けを仕組んでいた。 もう一冊の著 書が、ほとんど同時に出版されたのだ。
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