新発見の若冲と応挙の合作屏風 ― 2025/07/15 07:09
13日のNHK『日曜美術館』は「ザクザク!日本美術 知られざる傑作を掘り起こす」、大阪中之島美術館の「日本美術の鉱脈 未来の国宝を探せ!」展を、この展覧会を監修した山下裕二さんの解説、ゲスト井浦新さんで取り上げた。
一番最後に見たのが、新発見の伊藤若冲と円山応挙の合作屏風。 若冲と応挙は、今まで交流した証はなかった。 当時の京都で第一位の画家といわれた応挙と、十七歳年上の若冲、その二人の合作屏風は、まさに夢の競演である。 金箔張りをバックに、墨で描かれている。 円山応挙は《梅鯉図屏風》天明7(1787)年。 伊藤若冲は《竹鶏図屏風》寛政2(1790)年以前。 応挙の鯉は、立体的に描かれている。 若冲のは、雄鶏を雄渾に大きく、雌鶏と雛を描き、若冲得意の虫食いのある竹の葉を配している。
この合作屏風を見た辻惟雄さんは、こんなのがあったんだ、保存もいい、驚いたと大喜びした。 そして若冲の代表作だ、《動植綵絵》、西福寺(《仙人掌群鶏図》か)に次ぐ、№3ではないか。 雄鶏を濃い墨で、一気に描いている、水墨画の№1ではないか、と。 応挙の鯉は、左を意識していて、梅と合わせて、バランスが完璧。 日本美術の奥は深い、底が深い池を見たような気がする、まだ何が隠れているかわからない。
「ナンジャコリャ! 連発」という、この展覧会。 牧島如鳩(にょきょう1892~1975)の《魚籃観音像》。 小名浜の漁協に豊漁を祈って描いた絵。 イコンを描き、キリストと仏陀も同じ一つの「元愛」があるという考え。 笠木治郎吉(1862~1921)の《提灯屋の店先》《新聞配達人》。 横浜で外国人の土産物の水彩画を描く。 油彩のような力量のある作品を、気に入らないと描かない。 娘が1972年に、かさぎ画廊を開き、孫がインターネットで探して英米や国内から作品を集めた。 安藤緑山(りょくざん、1885~1959)の《胡瓜》超絶技巧の象牙彫刻作品。
ヘタ絵であるが、それゆえに美しい、愉快な絵。 《築島物語絵巻》(日本民藝館)胴から手の生えている人の形などはテキトウだが、馬だけはうまく描こうとして、蹄などがうまくいっている。 イノセントな、等身大の絵。 《かるかや》(サントリー美術館) 盃に花の散るのを見て、無常を感じ、身重の妻を残して出家した父を、子の石童丸が探す。 父は死んだと墓に案内する僧は、実は父の刈萱道心だった。 それを伝えに帰ると、母が亡くなっていた。 父と子は、同じ時に亡くなり、ともにあの世へ。 サントリー美術館の学芸員は、室町の中世絵巻は庶民が主人公のものが出てきて、登場人物の裾野が広がり、それを見る人の裾野が広がった、と。
長谷川巴龍の《洛中洛外図屏風》江戸時代(17世紀)。 史上一番下手な洛中洛外図。 二条城などは、がたがた。 署名に「法橋」とあるが、ギャグか。
山下裕二さんは、稚拙な美を求める文化は、日本には中世からあった。 ヨーロッパでは、税関吏だったアンリ・ルソー以来だ、と。
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