大河ドラマ『豊臣兄弟!』、弟の小一郎・豊臣秀長2026/02/14 07:30

  大河ドラマ『豊臣兄弟!』、八津弘幸作、弟の小一郎・豊臣秀長(仲野太賀)を主役にしたところが新機軸で、巧い切り口を見つけた感じがする。 第一回の題は、藤吉郎・豊臣秀吉(池松壮亮(そうすけ))と、「二匹の猿」だった。 豊臣秀長については、ほとんど何も知らなかった。 雑誌『サライ』2月号は、大特集が「謎解き「豊臣秀吉」」だったが、秀長については、ほんの少ししか書いていない。

  謎2、〝攻城の天才〟はなぜいくつもの超軍略を使えたのか→「時代別に活躍した3人の参謀が秀吉の強さを支えました」で、竹中半兵衛、黒田官兵衛と並べて、豊臣秀長(1540~91)を挙げている。 「豊臣軍の総大将を担った絶対的信頼の弟」として、「通称は小一郎。秀吉の異父弟ともされるが同父弟が有力。秀吉が中国攻めの司令官として播磨攻略を進めていた天正6年(1578)頃より確かな史料に名前が表れる。秀吉の中国攻め以降は、秀吉のほとんどの合戦に参加し、四国攻めでは総大将を担う。大和郡山城主で100万石を領し、大和大納言と称される。豊臣政権の重鎮として存在を示したが、秀吉に先立って52歳で病死した。」

  秀長は、秀吉の絶対的信頼のもと、四国攻めの総大将など、まさに秀吉の分身としての役割をはたしていく。 小和田哲男さん(静岡大学名誉教授)は、「天下統一の総仕上げである小田原攻めも、病気にさえならなければ秀長は総大将クラスで出陣したでしょう。その翌年に秀長は逝去しますが、豊臣政権にとって重大な痛手でした」と。

  ドラマや小説などでは、秀長は秀吉の朝鮮出兵に反対し、豊臣家の行く末を案じながら亡くなっていったように描かれることがある。 本当だろうか。 小和田哲男さんは、「その逸話は研究者の間で疑問符がつけられている『武功夜話』という史料にのみ記されているため、あまり信憑性のある話とは捉えられていません。しかし私は、秀長が朝鮮出兵に反対したというのはありえると思っています。なぜかというと、秀長が亡くなると秀吉はすぐに朝鮮への前線基地となる名護屋城の築城を命じているのです。豊臣家の実力者の秀長が朝鮮出兵に反対したら、秀吉も築城を強行できなかったでしょう」と。

 実際、秀吉の朝鮮侵略は失敗し、豊臣政権は揺らいでいく。

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