佐助の「金明竹」、甚語楼の「夏どろ」2006/07/02 07:14

 反省はしたけれど、書かないわけではない。 反省しつつ、謙虚な気持にな って、私なりの感想を書くのである。 「金明竹」の五街道佐助、前に「堀の 内」や「強情灸」を聴いたことがある。 なかなかよくなった。 この日の前 座なのに、前座らしからぬ、長演25分。 親戚の与太郎な小僧がカラ傘を貸 すところから、道具屋の女房まで登場させて、たっぷりやった。 さわりの上 方弁の早口の繰り返しの弁舌が、はっきりとしていて、よかった。 それが重 文級の道具類であることがよくわかり、落語の日本文化史に関する教養の奥深 さを伝えたのである。

 この春、真打に昇進して柳家さん光改め柳家甚語楼、若手の有望株という。  「夏どろ」、小三治がやったのを思い出すと、もっと広い空間が浮かんで来た。  そして、そこに寝ている男は、もっとぶっきらぼうで、ものすごくおっかない 奴だった。 間抜けな泥棒が次第次第に、そのペースに乗せられて行くのは、 第一にその恐怖感があるからだった。 太目の甚語楼には、そのあたりの恐ろ しさが表われず、泥棒の間抜けさとのコントラストがぼやけて、噺に説得力を 欠く結果になってしまったような気がした。

コメント

_ 星組 ― 2006/07/02 14:12

随分、昔ですが一回倒れた志ん生が、復帰して紀の国屋ホールにでたとき芝居噺「お富与三郎」をしたのです。再会した与三郎の首っ玉に抱きついたお富の涙が彼のでこぼこの頬の傷を伝わって流れたとか。志ん生流の可愛くて情熱的なお富が忘れられません。それ以来、誰のも聞いてません。お聞きになったことありますか?

_ 轟亭 ― 2006/07/02 17:22

「お富與三郎」は五街道雲助が、落語研究会では2003年と2004年の二年がか
りで、全篇を演じました。 2003年4月の「発端」から、7月「木更津」、8
月「玄冶店」、2004年7月「稲荷堀(とうかんぼり)」、10月「茣蓙松」、11月
「島抜け」で一応の語り納めにしていました。 私は旅行で聴けなかった「茣
蓙松」以外は聴いています。

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