「かぼちゃや」の明快な算術 ― 2007/06/14 07:57
「かぼちゃや」は与太郎ばなしである。 吉原通いが過ぎて勘当になった若 旦那が、吾妻橋から飛び込もうとするのを伯父さんに救われて、唐茄子を売り に行くことになる「唐茄子屋政談」という人情噺とは、別の噺だ。 同じ与太 郎ばなしでも小三治だと、先日聴いた「牛ほめ」の歌彦とはぜんぜん違って、 そこはかとなく可笑しいのだ。
「おい、与太、与太」で、噺に入る。 伯父さんが訊く「与太、いくつにな った?」「にじゅう」「はたちだろ」「下駄履いてきた」「にじゅうを、はたちっ ていうんだ」「それじゃあ三十は、いたちか」。 伯父さんは八百屋で、与太も 小商人(こあきゅうど)のセガレだろう、しこんでやる、という。 簡単な一 色(ひといろ)もの、用意したからカボチャでも売って来い。 大きいのが10、 小さいのが10。 それぞれ13銭と12銭だ、上を見て売るんだ。 日陰を歩 け、さからっちゃあいけねえ、裏長屋を行け、と教わって、出かける。 狭い 路地に入ると、先に蔵があって行き止まり、ここに泊まるようなことになった かと、格子をガタガタやって、蔵どけろ、なんてやっている。 その家の男が 出てきて、「体だけ回ってみろ」「回れた」「格子が傷だらけじゃあないか、なぐ るぞ」「いくつ?」「喧嘩になってんだ」「(さからっちゃあいけねえ、って言わ れてきた、なぐられよう。)なぐれ。なぐったあと、唐茄子買ってくれ」。 こ の男が、まわりの連中に呼びかけてくれ、伯父さんに言われたように上を見て いて、首が疲れた間に、全部売れた。 2円50銭。
伯父さんの家に帰って、与太でもさすがに小商人のセガレだ、元が別になっ ている、上を見たのを出せ、といわれる。 上を見るというのは、のどの奥の 方まで日を当てることでなく、掛け値をしろってことだったことが、判明する。 掛け値をしなければ、女房、子が養えない、今度は14銭と15銭で売って来い といわれ、また同じ路地に行く。 先ほどの男に「買っとくれよ、カボチャが 好きそうな顔してる。ガチャガチャに似てる」などと言って、年を訊かれる。 「あたいの年は、60」「20くらいにしか、見えない」「元は20で、40は掛け値。 掛け値をしないと、女房、子が養えない」
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