「桂離宮 知られざる月の館」2009/01/08 07:09

 騒がしいだけの年末年始のテレビ番組の中で、「桂離宮 知られざる月の館」 が美しく静かでよかった(4日夜放送・NHKスペシャル)。 「知られざる」 というのは図星、桂離宮がどういう事情で造営されたかという物語が面白かっ た。

 時は豊臣から徳川への変り目の動乱期、八条宮家の初代・智仁(としひと) 親王(1579-1629)、二代・智忠(としただ)親王(1619-1662)父子が別荘と して造営した。 智仁親王は後陽成天皇の弟、初め豊臣秀吉の養子になったが、 秀吉に実子が生れたため解消され、八条宮家(桂宮家)を創設することになっ た。 のちに兄の後陽成天皇から譲位の申し出もあったが、これは徳川家康の 反対で、実現しなかった。 こうした武家の圧力を受ける中で、王朝文化・宮 廷文化の伝統を再興しようと、桂離宮の基礎づくりに、その後半生を捧げた。  現在の西京区桂の地は、古くから「月の桂」という観月の名所として知られ、 桂の地名も中国語の「月桂」から来ているそうだ。 智仁親王は古書院と呼ば れる部分を建て、池に張り出す「月見台」など、独特の造形を生み出した。

 宮家を継いだ智忠親王は、桂離宮を現在の形に整備した。 さる高貴な方を この別荘に迎えるために、御幸門を通る道、中書院、新御殿、庭園には四つの 個性的な茶屋をしつらえた。 壁紙から襖の引き手の意匠、長押の用材にいた るまで、濃やかな配慮をし、凝りに凝って、王朝の美の伝統と革新性を合わせ 持った別荘を建設した。 いろいろなデザインで使われた「月」は、帝(みか ど)の印であり、再生の象徴でもあった。 それは、さるお方、徳川幕府に対 抗する公家たちの中心人物、後水尾上皇をここに招こうとしたからだった。 上 皇の御幸は、二回だけだったそうだ。

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