サルガドの撮ったルワンダ難民2009/12/11 06:50

 セバスチャン・サルガドが、国際コーヒー機構の職員として行った1971年 のルワンダは平和で、アフリカのスイスと呼ばれ、美しい茶畑が広がっていた。  ベルギー植民地時代のルワンダでは、少数民族だったツチ族(背の高い遊牧民) が重んじられて支配し、多数派のフツ族(小柄な農耕民族)との間に溝があっ た。 1962年の独立後、フツ族が逆転して政権を担うことになり、対立は深ま っていく。 1990年に内戦がおこり、1994年に激化、三か月間で100万人が 命を失った。 かつて茶畑で働いていた労働者たちは大量虐殺から逃れて難民 となり、サルガドは彼らと逃避行を共にする。 3日もしないうちに10万人 を超えるツチ族と融和派フツ族のルワンダ難民が到着し、タンザニアのベナコ に難民キャンプが設置され、サルガドはその初日の写真を撮っている。 サル ガドは言う「(逃げる途中も)人生は続いている。 彼らは自分の為に大切なも のはすべて運んできた。」「人類にとって最も重要なことは人間の適応能力だ。  まったくの貧困状態でも、難民キャンプには一体感があり、ここが家であり、 隣人や友人がいて、コミュニティの生活がそこにある。」

 その時ゴマから逃げて行く難民を取材していたというジャーナリストの松本 仁一さんは番組で、道に迷ったアフリカ、どこかで間違えているアフリカにつ いて、こう話していた。 そもそも植民地支配そのものが現実に合わない支配 をしていた上に、勝手な国境線を引き、その国境線だけを残して引き上げてし まうという無責任なことをやった。 そのために、アフリカはどうしてもうま くいかないのだ、と。

 サルガドの写真について、難民高等弁務官だった緒方貞子さんは、「よく、う まい場面を見つける」「一瞬を探して、歩き回って、歩き回って撮るのだろう」 「難民、貧困、病気の人に対する人間愛というのか、極限にある人々を尊敬し ている」と、語った。

 写真家の田沼武能さんは「ドキュメンタリーでありながら、アート」「フルに カメラに写し取っている、感性の素晴しさ」を話した。

サルガドの写真を見、話を聞いて、私が感じたのは、その方法が俳句の作り 方に通じるものがあるということだった。

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