明治同時代人の福沢批判 ― 2010/01/07 06:59
同じく伊藤正雄編『明治人の観た福澤諭吉』から、山田博雄さんが読んでく れた中で、福沢に批判的な文章を紹介してみる。
○内村鑑三「福沢諭吉翁」(明治30年4月24日『万朝報』)
「天下彼の功労に眩惑せられて、未だ彼の我邦に流布せし害毒を認めず。金 銭是れ実権なりといふは彼の福音なり。彼に依りて拝金宗は恥かしからざる宗 教となれり。彼に依りて徳義は利益の方便としてのみ貴重なるに至れり。武士 根性は、善となく悪となく悉く愚弄排斥せられたり。彼は財産を作れり。彼の 弟子も財産を作れり。(中略)利慾を学理的に伝播せし者は福沢翁なり。」
○井上哲次郎「福沢翁の『修身要領』を評す」(明治33年5月『教育学術界』)
「独立自尊を以て唯一の主義となすは果して当を得たる者なるべきか。徳川 時代の極端なる服従主義を矯行せんが為めに、独立自尊を唱ふるは或は可なら む。然れども、しかく極端なる服従主義は今は存せず。然らば果して何を矯正 せむとするか。只、忠孝の教は依然として国民教育の真髄なり、骨子なり。」「服 従なき独立自尊は、之を下層に伝播すれば破壊的運動とならざるやも亦保し難 し。」 (井上哲次郎は帝大教授で、国家主義の官僚哲学者、当時は文科大学長。教 育勅語の絶対信奉者。…伊藤正雄さんの解説)
○高山樗牛「福沢諭吉氏」(明治30年9月『太陽』)
「福沢諭吉氏の欧化主義は、近来の時事新報紙上に於て益々其の極端に走れ るを見る。蓋し日本中心主義の勃興に対して、知らず知らず是の激励を致した るものか。是の翁が開国主義と欧化主義とは、三十年一日の如く、亳も時勢の 推移に着目せず、維新草創の際に於て唱道の須要を見たりしもの、直ちに之を 三十年後の今日に行はむと擬す。吾等は是の翁の末路に就て後世の批議を思へ ば、少しく気の毒の思ひ無きを得ず。」「教育社会の自尊排外熱を排斥し、保守 論の根拠を打破せむとするの意気や壮なり。然れども之れ現今学者の唱ふる日 本中心主義の真相に対する誤解に本づく。」
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