杉道助さんの挨拶、板倉卓造さんの講演 ― 2010/01/11 07:10
11月に福澤諭吉協会の旅行で中津や萩に行って、この日記に書いた。 その 11月17日の項にも、以下のように自慢していた。 「松陰神社と、その中の松下村塾の建物を見た後、松陰の誕生地と墓のある、 城下町全体と日本海を見下ろす高台(田床山麓)へ行った。 吉田家、松陰の 出た杉家、松陰をスパルタ教育した叔父玉木文之進の玉木家の墓もある。 杉 家八代目・杉道助さんの墓があった。 高校3年生の私が、福沢生誕125年記 念会で大阪へ行かせてもらった時に、大阪商工会議所の会頭で、そのスピーチ か講演を聴いた記憶があった。」
杉道助さんのそれは、スピーチか講演か、という疑問が、池田光さんから頂 いたコピーで解決した。 杉道助さんは1960(昭和35)年当時、大阪商工会 議所会頭で、大阪慶應倶楽部会長、京阪神連合三田会代表でもあった。 福沢 先生誕生125年記念祭の記念式典で、まず祝辞を述べ、三越大食堂での記念祝 賀会では主催者の京阪神連合三田会を代表して挨拶していた。 高校生の私が、 杉道助さんというお名前を記憶していたのは、この二回の挨拶の印象が強かっ たからだろう。 お墓を見たら、その4年後、1964(昭和39)年に亡くなっ ていた。
板倉卓造さんの「ブロッホの予言と福沢諭吉」という講演だが、その内容は 私の記憶には全くなかった。 『三田評論』587号(昭和35年5月10日発行) の市原嘉一大阪慶應倶楽部副会長によると、ポーランド人ブロッホがその戦争 論で、戦争の有害無益なこと、将来の戦争は機械化と火薬の発達で、ますます 長期化し、人類死滅の方向へ進むと論断した、一方福沢は、それ以前に、同様 の趣旨の戦争論を著しているが、ブロッホと違って短期化の方向を予想したと いう話だったそうである。 福沢のこの議論、少し探してみたが、見つからな かった。 ご存知の方は、ご教示ください。
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