王楽の「兵庫舟」2010/01/18 07:13

 三遊亭王楽は、「笑点」に出ている好楽の倅だ。 昨年10月に真打に昇進し たが、野心家だから、かねて真打昇進と同時に六代目円楽を継ぐ青写真を描い ていたという。 それが楽太郎が六代目を襲名することになり、円楽党にいい 名がない。 楽太郎はどうかと思ったら、倅の一太郎が本名でこの世界に入っ てきた。 好楽には興味がないので、この王楽という名前を大きくしたい、と いう。 悪ぶるというのか、不遜な態度は嫌味で、往時の談志を思い出した。  12月4日の朝日新聞に「新人成長、故人へはなむけ」の見出しで、太田博さん が円楽追悼の一門落語会の評に「ここへ来て、兼好、王楽など、見どころのあ る新人が動き始めた」と褒めていたが、若手はやはり謙虚さ、一生懸命さがな ければ駄目だろう。

 10月29日に亡くなった円楽の思い出。 65歳の時に23歳で入門、可愛が ってもらった。 読書家で、知らないことはないと言っていた。 男が泣いて いい時は? と訊くと、「がま口を落とした時」。 世の中一番嫌いな言葉は? 「許してちょんまげ」。 一緒にテレビのオリンピックの水泳を見ていたら、「若 い時は水泳が得意で、朝から海で泳いだものだ」と言う、浅草育ちなのに…、 「沖へ泳いで行くと、日が暮れ、夜が更けて、やがて白んで来た。 向うに陸 地が見え、男がいて、ここはアメリカ本土だから、引き返したほうがいいとい うので、戻って来た」。 もう少し、ましな思い出話はないのだろうか。

 「兵庫舟」江戸っ子三人、兵庫から大坂への船に乗る。 謎かけなどしてい ると、悪い鮫に取り囲まれて、船が動けなくなる。 持ち物を投げ込んで、流 れずに、沈んだものが、人身御供になることに。 お終いに残った、襟垢紋付 の投げた扇が沈み、その旅回りの講釈師二龍斎貞セン(船?)が、この世のな ごりに講談を読む。 赤穂義士伝のはずが、弁慶や常盤御前、千松に政岡、初 音の鼓、鈴ヶ森、切られの与三、石川五右衛門が「石川や浜の真砂は尽きると も我泣きぬれて蟹とたわむる」、平知盛、民谷伊右衛門、佐野次郎左衛門とつき つぎ登場、ついには六代目円楽と円生が再会する。 王楽、聴かせどころの、 この講談が、どうも面白くない。 ベテランの演る「源平」や「やかん」や「浮 世床」の、あの可笑しさが、不発に終ったのであった。

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