澁澤龍彦との結婚 ― 2010/02/23 06:56
澁澤龍彦という名前で思い浮かべるのは、マルキ・ド・サドや少女の人形と いった異質でおどろおどろした世界だ。 お呼びでない。 だが、家内が奥さ んの澁澤龍子さんの『澁澤龍彦との日々』(白水社・Uブックス)を読んでいた ので、覗いてみると、ごく普通の人で、そのギャップが面白かった。
澁澤(前川)龍子さんは早稲田を出て、二年後新潮社に入り『藝術新潮』の 編集部にいた1967(昭和42)年、鎌倉の実家から通勤していたので、原稿の 受け取りなどで北鎌倉の澁澤龍彦の家に出入りするようになる。 その家には、 まだ矢川澄子さんがいた(68年3月離婚)。 『藝術新潮』1969(昭和44)年 6月号の特集「魔的なものの復活」の仕事が、とくに親しくなるきっかけにな り、京都や箱根(龍子さんの運転)に旅行する。 結婚のきっかけは、こうだ。 龍子さんが、友人のフランス旅行の話を聞いて、急に行きたくなり、会社の上 司に、芸術の勉強をしてきたいので一か月ほど休ませてほしいと言った。 す ると、「きみには給料を払っているだけでも腹が立つんだ。こっちが月謝をもら いたいくらいだ。それなのに一か月も休むとはどういう了見だ。行きたかった ら会社を辞めてから行きなさい」と叱られた。 それを澁澤龍彦に話すと、「そ れならぼくが世界中どんなところへでもきみを連れてくから、すぐ会社を辞め ちゃえ」。 その年11月24日に結婚、龍彦41歳、龍子さん29歳だった。
翌1970(昭和45)年8月、夫妻は二か月を超すヨーロッパ旅行に出かけ、 羽田空港には友人たち、三島由紀夫、土方巽、堀内誠一、種村季弘、巌谷國士、 野中ユリ、谷川晃一が見送りに来たという(そうそう、あの頃の洋行は羽田に 見送りに行った)。 盾の会の制服姿だったという三島由紀夫は、その年11月 25日に割腹自決することになる。 二人にとって初めてだったというこのヨー ロッパ旅行は、書斎派だった澁澤龍彦の一大転機となったようだ。 巻末の解 説で堀江敏幸さんは、澁澤は明るく、開放的になり、その子どもっぽさが品を 失わないまま、より自由に表に出るようになった、と書いている。
この本を読んでいて、閑人の夫に先に読まれた家内は、澁澤夫妻と同じ年に 馬場紘二と結婚したが、翌年ヨーロッパ旅行には行かず、大阪万博の各国パビ リオンで世界一周したのであった。
コメント
_ 岩本紀子 ― 2010/03/01 00:20
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気の利いたことは書けないのでちょっとはずかしいです。馬場さんだけ読んで下さればと思います。
澁澤龍彦の『狐のだんぶくろ』を買ったことがあります。
父がイッパイやって気分が良いとその歌を歌っていたから気になっていたのです。龍子さんの本読もうと思います。たのしそう。龍のところへ龍がお嫁に行ったのですね。あちらは世界旅行、馬場さんちは世界万博。でも仲のよさは負けてないですね。