15歳のドイツ少女に鴎外のしたこと2010/11/25 05:47

 石黒忠悳(ただのり・1845~1941)は医学者、陸奥国伊達郡(福島県)生れ、 幕末医学所を卒業、維新後大学東校に勤め、東京大学医学部総理心得。 陸軍 に入り、陸軍医制度の基礎を築き、軍医総監となった人物で、鴎外森林太郎の 留学当時、上司として一緒にドイツに留学していた。

 脱線するが、私などは明治3年に福澤諭吉が発疹チフスに罹った時、親友の 化学者宇都宮三郎が、氷をつくることを試みた、人工製氷の嚆矢といわれる際 に、手伝っていた人物として記憶していた。 宇都宮は、旧福井藩主松平春嶽 が外国人から買って持ってはいたが、使い方が分らず放置していた製氷器を借 りてきて、原書と首っ引きで試みたという。 「苦もなく氷塊」「是れ実に本邦 人造氷の元祖」の時事新報記事の他に、水がやや冷たくなった「氷のたまご」 程度だったという石黒忠悳の回想がある。

 「鴎外の恋人―百二十年後の真実」では、石黒忠悳の日記から、「鴎外の恋人」 についての記述が紹介された。 1887(明治20).10.8. (自分や谷口と違い) 森だけが良家の子女と付き合っていて、帰国で泣かせることになり、罪が深い。  1888.4. 帰国前には、森を「多木子」という暗号で書き、どんなにつらい気持 だろう、と書く。 石黒と森は、ロンドン、パリ経由で、マルセイユから帰国 するのだが、その汽車の中で、森がその情人のことを語り、「為に愴然たり」。  「愴然」は、強く嘆き悲しむことだそうだ。

 森は自分たちの荷物を載せたブラウンシュヴァイク号に、密かに15歳のア ンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトを乗せる手配をしていた。 7月27日 の石黒日記には、その船が25日にブレーメルハーフェンを出港したと書かれ ている。 番組の調査は、ブレーメルハーフェン航海博物館に進み、当時のア ジア行きのドイツ船はみんなこの港から出発していたこと、チケットをベルリ ンで買えば、パスポートは不要で、船長が乗客リストを持っていればよく、未 成年でも乗船出来たことを、明らかにする。 乗船名簿のエリーゼという名前 は、国際結婚が難しかった時代に、二人の間で使われた愛称だったのではない か、と推定した。

 鴎外、森林太郎、40日間のたった一人で船旅で遠い日本にやって来た15歳 のドイツ少女に、なんという可哀そうなことをしたことか。 鴎外の悔恨と心 の闇に関連して、次女に杏奴(あんぬ)、三男に類(るい)と名付けたのは、ア ンナ、ルイーゼに由来すると、番組は締めたけれど。

『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』<等々力短信 第1017号 2010.11.25.>2010/11/25 05:49

 三遊亭歌笑の高座を見たことがある。 小学校に上がった昭和23(1948) 年前後のことだ。 武蔵小山の映画館・大映は、歌笑が来るというので超満員だ った。 入場にも時間がかかったのだろう、父母や兄と立見をしていて、小便 がしたくなった。 我慢していたのだが、身動きが取れない上に、歌笑があん まり可笑しいので、温かいものが足を伝って流れて行った。 「電気の球の切 れたのは、停電用にお使い下さい」とか、「我、若くしてトーダイを出たり、本 郷にあらずして三浦三崎なり。歌笑純情詩集より」なんてぇのを憶えて、得意 になってしゃべっていた。 昭和25(1950)年5月30日、その歌笑が銀座で ジープに轢かれて死んだ。 三遊亭歌笑、強烈な思い出として残った。

 『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』(新潮社)を書いた岡本和明さんは昭和28(1953) 年生れ、“ナマの歌笑”を見ることができなかったのが、残念でならないという。  歌笑(三代目)、高水治男は大正5(1916)年に五日市で生れた。 大正6年 と書く本が多いそうで、亡くなったのは33歳、新聞の死亡記事は31歳になっ ている。 家は女工員が50人もいる製糸工場を経営する裕福な家だったが、 視力が極度に弱く、斜視で、出っ歯で、エラが張った奇妙な顔の治男は、疎外 され、いじめられて育つ。 母の乳の出が悪く、預けられた家に兄照政の同級 生ヒサがいて、母代わり姉代わりになり優しくしてくれたのだけは例外だった。  高等小学校を出て、家業の手伝いをしながら鬱々としていた。 ヒサや女工達 の前で、歌ったり落語をやったりして、味をしめた治男は、隣町秋川出身の金 語楼に入門しようと家出する。 二度目の家出で、金語楼に会えた治男は、死 んだ父を知っていた金語楼に、今は芝居をやっているからと柳橋を紹介される が、ここでも断わられる。 それを知った兄照政が、金語楼に会い、金馬を紹 介してもらって、入門を許される。 この兄が、いい。 治男は厳しい金馬に 度々破門されるのだが、その度に魚や酒を持って行ったり、金馬の好きな釣り に誘ったり、謝りに行く。

 師匠の金馬は厳しいが、実は優しい人だった。 寄席でもいじめられ、親友 の小きん(小さん)、笑枝(痴楽)、弟弟子の金太郎(小南)、名人桂文楽だけが 味方で、あとは敵だった。 戦後の食糧難の世相に、妙な顔を逆手に、歌や、 大学ノート40冊に書き溜めた小噺や詩を、リズム感のある七五調で演ずる三 遊亭歌笑の芸は、底抜けの明るさとほのぼのとした温かさで、大ブレークした。  美人の奥さんももらった。