志ん輔の「黄金餅」 ― 2012/04/02 04:47
志ん輔は、浅草演芸ホールの斜向いに立ち食いソバ屋があり、牛丼屋のA、 B、Cがあると、切り出す。 牛丼屋は競争して、どんどん値下げをする。 280 円の牛丼、食べていると、いいのかしら、と思う。 天玉ソバが480円、飯と 肉で280円。 どっちがいいかと、真剣に悩む。 きっと無理をしてるに違い ない、いけないぞ。 自分でもらうお金、ギャラは沢山欲しい、でも、出す方 は少なくしたい。 こういう料簡が、いやだ、と思う。 それで、あくる日に なると、どこが一番安いんだろう、と探している。
下谷の山崎町に西念という坊主がいた。 「なんまいだぶ」と唱えて、もら って歩く、この家は法華だと思えば頭陀袋をひっくり返すと「南無妙法蓮華経」、 背中には十字架。 その西念がどっと患いついて、隣家の金山寺味噌屋の金兵 衛が様子を見に行き、見舞いにあんころ餅を二朱も買わされる。 覗いている と、胴巻をこいて出てきた二分金と一分銀の山を、餅にくるむと、呑み込んで、 ニッコリ笑ってポックリ死んだ。 金兵衛、大家の所へ行き、西念が死ぬ間際 に、金兵衛の寺に葬ってくれと頼んだ、と言う。 井戸端に干してあった菜漬 の樽に、仏様を入れたが、大家のだったので、洗って返すよ。 いらないよ。 これから出れば、明け方近く帰れると、長屋の連中、弓張提灯、盆提灯、赤い ○に酒の提灯を提げて、麻布絶口釜無村木蓮寺へ、ラッショイ、ワッショイ。
下谷の山崎町を出まして、上野の山下、三枚橋から上野広小路、御成街道か ら五軒町へ出て、その頃、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっつぐに、筋違 御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出て、新石町から鍛冶町、今川橋 から本白金町、石町へ出て、日本橋を渡りまして、通四丁目、京橋を渡り、ま っすぐに新橋を右に切れまして、土橋から久保町、新し橋の通りをまっつぐに、 愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から飯倉六丁目へ出て、坂 を上がって飯倉片町、その頃、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻 布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村の木 蓮寺へ来たときには、みんなずいぶん、くーたびーれた。
茶碗酒をやっている和尚と、百か日仕切、天保銭六枚で交渉、みんな売っ払 って何もない木蓮寺、和尚は麻の大きな風呂敷の真中に穴を明けたのに首を通 し、ホオズキの化け物のよう、ハタキを持ち、茶碗を叩いて、煙草の粉を香が わりに、経を読む。 「新内だよ、それ」で、キンギョー、キンギョー、セコ キンギョ、チーン。 とらがなく、とらがなく、虎が鳴いては大変だ、犬の子 は、チーン。 汝、元来ヒョットコの如し、君と別れて松原行けば、松の露や ら涙やら、アジャラカモクレン、キューライツ、テケレッツのパ。 焼場の切手をもらい、夜も更けて、桐ケ谷の焼場へ。 遺言だから、腹のあ たりを生焼けにしてくれと頼む。
考えてみれば、ごく陰惨な噺なのに、志ん生、志ん朝とつないだ、そうは感 じさせない明るい流れは、志ん輔にも見事に引き継がれている。
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