小三治「茶の湯」のマクラ2012/04/04 04:34

 トリの小三治が上がった時は、8時40分になっていた。 長いマクラの時間 はない。 困ったような小三治、こんなに目が細かったか、目をつぶっている ようにさえ見える。 大震災以来、「上を向いて歩こう」をよく聞く。 永六輔 作詞、俳句会で一緒になったので、作詞料がたくさん入るでしょうと聞くと、 作詞権を放り出したんで、一銭ももらっていないという。 坂本九が歌って大 ヒットした時も、もらっていない。 坂本九が、スキヤキソングが流行りアメ リカへ行って、落語をやったという。 「向うの家に囲いが出来たよ」「ヘェー」、 やんやの喝采だった、という。 アメリカの文化の低さだ。 何て通訳したの か。 私なら「向うの家にディフェンスが出来たよ」「WAR!(ウォー)」とやる。  50歳で、アメリカに語学留学した、教養が邪魔して…。

 戦後、進駐軍が便利な場所にある両国の国技館(メモリアル・ホールと言って いた…馬場)を使っていて、大相撲はずいぶんしばらく蔵前でやっていた。 昭 和21年に小学校に入った私(小三治)などは、蔵前の国技館だった。 蔵前は、 蔵の前、江戸幕府の経済の中心地、江戸城の蔵があった。 米、船、武器の蔵。  深川の芸者が隆盛を極めたのも、そのせいで、蔵前には信用ある商店が並んで いた。