作兵衛翁を敬愛していた上野英信2012/04/28 02:33

 上野朱さんの『父を焼く 上野英信と筑豊』には、山本作兵衛が何度も登場 する。 上野英信の「筑豊文庫」には、山本作兵衛の炭鉱絵がたくさん保存さ れていた。 その保存状態を、展示のために額装した画材店のプロが褒めたと いう。 「筑豊文庫って、普通の家じゃなかったもの」と、ある人がいったの に、一同は妙に納得したそうだ。 エアコンもなければ、アルミサッシもない、 窓や戸を閉め切ったところで、風は通り放題、柱と戸の隙間からは粉雪が舞い 込み、真冬の室内は外気と大差なかった。

 山本作兵衛は、上野英信が、労働者として、記録者として、そして酒飲みと しても、最も敬愛していた人物だったという。 山本作兵衛は、桁外れの酒好 きだった。 栓を開けたままにすると、酒はどんどん蒸発して水になるという のが、作兵衛翁の信念で、必ず冷やで、器はコップか湯呑だった。 昔、自分 の父親が猪口で酒を飲んでいて、急いで飲んだはずみに猪口を喉に詰まらせて しまった。 苦しい息の下から「作兵衛よ、お前は口より小さなもので酒を飲 むな」と言い残した。 親の遺言は、何があっても守らなければならぬ、とい う理屈である。 これはもちろん作兵衛翁一流の冗談なのだが、客もその信念 と遺言に従うのが、流儀であり礼儀であった。 「自分も年をとったから、酒 は一日一升に控えるようにした」と聞いたのは、80歳を迎えた頃のことだった という。

 筑豊の記録者として生涯を貫こうとした上野英信は「作兵衛さんを尊敬せず して誰を尊敬するのか」といい、作兵衛の家をたびたび訪ねた。 一人で行く こともあれば、大切な来客を案内しても行った。 晴れ晴れと行き、晴れ晴れ と帰ってきた。 心から大切に思う人に会うことができる、おまけに同じ酒豪 である。 英信本人も、並はずれた酒好きのうえ、酒をふるまう以外に人をも てなす途を知らない人だった。 良い酒が手に入ると「水にならないうちに作 兵衛さんに飲んでもらおう」と勇んで届けに行ったものだという。