イスラーム文化と近代ヨーロッパ文化2012/05/10 03:59

 イスラームの話を聴く機会があったので、予習のつもりで、書棚にあった蒲 生礼一著『イスラーム』(岩波新書)をパラパラやっていた。 1958年初版刊 行の、1976年第20刷である。 周りが茶色くなっていて、まだ活版印刷らし く、活字の間に詰め物の跡があったりする。

 蒲生礼一さん(1901~1977)は、こう書いている。 日本の近代文化は、ヨ ーロッパから輸入されたものと考えられているけれど、そうしたヨーロッパ文 化によって伝えられたものの中に、アラビア語やペルシャ語の単語が含まれて いるのは、一体どういうわけだろう。 曰く、ソーダ、アルカリ(のっけから 元ガラス屋は脅かされる)、アニリン、アンモニア、シロップ、モスリン、ガー ゼ、ソーファ、タフタ、ゼロ、パジャマなどなど。 算用数字のことをアラビ ア数字と呼びながら、どうしてそう呼ぶかを知らない。 空気や水の有難さに 気付かないでいるように、アラビア数字の有難さにまったく気付かないでいる。  数字はイスラーム教徒の発明ではないが、インドから借りて改良されたもので、 ゼロを含む十進法などは、まったく驚くべき、進んだ方法だった。

 これらの言葉やアラビア数字は、イスラーム文化の紹介によって、ヨーロッ パに伝えられたもので、ヨーロッパ文化がイスラーム文化のおかげで発達した ことを物語るものに他ならない。 イスラーム文化はヨーロッパ文化に較べて、 時代的に早く発達し、西暦10、11、12世紀の頃に黄金時代を迎えた。 その 頃ヨーロッパは文化的には暗黒時代であった。 つまり、イスラーム文化は、 ヨーロッパの近代文化より一時代前の文化ということになる。 12世紀頃から 以後、ヨーロッパ人等はイスラーム教徒らによってアラビア語に訳されたギリ シャ科学を、ラテン語に翻訳して取り入れた。 イスラーム文化も、ヨーロッ パ文化も、ギリシャ古典文化をもとにしてはいるが、ヨーロッパ文化とギリシ ャ古典との関係は直接でなく、イスラーム文化を通してのつながりだった。 イ スラーム文化こそヨーロッパの文化を発達させる一大要因だったわけで、その 世界史的役割は大変大きかったと言わねばならない。

 わが国は、積極的に取り入れたヨーロッパ近代文化を通して、間接的にある 程度、イスラーム文化の影響を受けている。 ヨーロッパ文化に心を奪われて、 身近な東洋に大変貴重なものがあることを忘れていた。 イスラーム帝国と中 国は、貿易を通じて深い関係があったのに、黄金時代のイスラーム文化が平安 時代の日本に伝えられなかったのは、まことに不思議だ。

 イスラーム文化は13世紀頃からその進展を止め、その栄養分を吸収したヨ ーロッパ文化は徐々に発展の方向に向い、おいおいイスラーム文化圏に対して 侵略の歩を進めるようになり、19世紀から20世紀初頭このかた多くの国々を その支配下におくことになる。 こうしてヨーロッパは、イスラーム圏を含む アジア、アフリカの諸国の犠牲において、隆昌に向い、その搾取によって富み 栄えることになった、と蒲生礼一さんは書いていた。