柳家さん喬の「男の花道」下 ― 2025/03/13 06:59
中村座では、「一の谷嫩(ふたば)軍記」の三段目「熊谷陣屋」が始まるところ。 歌右衛門は、半井源太郎からの手紙を読み、玉七に向島の上半(?)への駕籠を用意させる。 座元中村勘三郎、金主西口和三郎を呼んでもらい、客にも承知してもらおうとする。 御恩のある方で、ここはご容赦願いたい、役者は親が死んでも、舞台は勤めるものだが。 ほっときゃあ、客が騒いで、中村座に血の雨が降る。 行かせてもらえなければ、役者を辞めます。 訳を話してくれ。 お客様にも、お話をさせて下さい。 情けや、義理に篤いのが江戸っ子、舞台の上でお話を。 客はまだ、幕開けろ、ワーーッ、ワーーッ!
チョン、チョン、チョン、チョンと、柝が入って、定式幕。 浅葱の幕を吊り落とす。 トザイ、トーザイ、チョン、チョン、裃姿の中村歌右衛門がひれ伏している。 高々ながら、皆々様に、口上な申し上げまする。 江戸に参りまして三年、今ここにお話しますのは、金谷の宿場でありましたことで。 涙ながらに話をし、一世一代の我がままをお聞きくださいますよう、おん願い申し上げます。 行って来い! 行って来い! 蝋燭屋は、百匁蝋燭を、百本でも、千本でも灯して待っているから、と。
弁天山の鐘が、ゴーーン! 一刻半になるが、来んの、どうだ半井。 この始末は、いかがいたす。 腹を切ります。 ハハハッ、役者一人の為に、命を落とすのか。 半井、お詫びを。 私も男でございまする、意地を。 脇差を抜き、懐紙を巻き付けて……。 しばらく、しばらく! しばらく、お待ちを! タッタッタ! 中村歌右衛門、只今、参上つかまつりました。 来て下さいましたか。 三年前の、ご恩を返しに参りました。
いずれも様に、半井源太郎様に成り代わりまして、ひとさし舞わせていただきます。 芸者に声をかけると、震える手で、シャン! ♪春……花……いかにも東山……。 歌右衛門の舞う姿は、夢の中を見ているよう。 ジーーッと、歌右衛門が舞うのを見ていた人々は、我も彼もと、拍手喝采。 これにて失礼、と歌右衛門は急ぎ中村座へ。
観客は誰一人帰っていなかった。 チョン、チョン、チョン、蝋燭の灯に、舞台が浮かび上がり、中村歌右衛門の演じた「熊谷陣屋」は、後世まで語り継がれることになった。 半井源太郎の長屋には、人々門前市を成し、日本一の眼科の医者と讃えられた。 中村歌右衛門と半井源太郎、二人の友情の読み切りでございます。
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