「綱吉は十五代で一番よい将軍」2012/11/13 06:54

 次の展開と書いたのは、録画しておいたBS歴史館“シリーズあなたの常識 大逆転(1)”「お犬様騒動 隠された真実~徳川綱吉は名君だった!?~」を見 たからだった。 作家の童門冬二、磯田道史茨城大准教授(最近、静岡文化芸 術大学准教授になったらしい)、1975年の大河ドラマ『元禄太平記』で柳沢吉 保を演じたという石坂浩二の出演、渡辺真理の司会だった。

 綱吉の時代の日本に来て、綱吉にも謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ ケンペルは、『廻国奇観』(1712年)に「綱吉は卓越した君主。彼のもとで全国 民が完全に調和して生活している。生活習慣や芸術、道徳の点で、この国の民 は他のあらゆる国の人々を凌駕している」と書いているそうだ。

 ボダルト・ベイリー大妻女子大学教授(“the DOG SHOGUN”という著書が ある)は、綱吉は徳川十五代の将軍の中で一番よい将軍だとして、こう話す。  17世紀、江戸に人口が集中、野犬が増え続け、子供や老人を襲うなど、庶民の 苦しみであった。 綱吉は動物の登録を、世界に先駆けて始めた(ニューヨー クでも犬の登録は19世紀までなかった)。 当時、宿屋で人や牛馬が重病にな ると、外に捨ててしまうというようなことがあった。 綱吉はこれを禁止した。  「生類憐みの令」は犬だけでなく、弱者への憐みの問題だった。 福祉の社会 を作ろうとした(今は当然と思うが、17世紀のことで、これも世界の先駆け)。  捨て子や、間引きが行われていたのに対しては、7歳以下の子供や妊婦も登録 させ、幼い命を守ろうとした。 「生類憐みの令」で人命尊重の社会づくりを するとともに、武士の意識改革を進めた。 役人はcivil servant、文字通り「民 間の召使い」(公僕)であり、「社会の支配者」から「平民の召使い」へ。 綱 吉から官僚制度が進み、その官僚制度の高い発展によって、日本は他のアジア の国と違い近代化が早かった。 安心して暮らせる社会の中で、都市の人口は 増え、経済も活性化した。 華やかで洗練された元禄文化が花開いて行った。