雷門牛六師の「風呂敷」2012/11/18 06:57

 二代目雷門牛六(もーろく)こと長沼毅君の名前が出て来て思い出した。 先 月の19日(金)、深川の江戸資料館小劇場で第21回の落楽名人会があった。  慶應の落語研究会、オチケンのOBOGの落語会である。 「ちんや」で会った ばかりのクラスメートが何人か見守る中で、牛六師は「風呂敷」を演じた。 「風 呂敷」は、帰りが遅くなると亭主が出かけたおかみさん、町内の若い衆の新さ んを家に上げて、話しているところに雨が降ってきたので、戸を閉めた。 そ こへ遅いはずの亭主が、酔って帰って来たので、新さんを三尺の押入れに隠し た。 すると亭主は、押入れの前にどっかと座って、動かない。 亭主がごく 嫉妬深いので、おかみさんは困って、鳶の頭か何かの兄貴分に相談に行く。 兄 貴分は風呂敷を持って、事態の収拾に乗り出すという噺だ。 私などは、「紙入 れ」ほどではないけれど、おかみさんの浮気話だとばかり思っていたが、牛六 師の「風呂敷」は上品だった。 新さんは、通りかかっただけで、上げても酒 などを出さずに、ただ「話しているところに雨が降ってきたので、戸を閉めた」 ということにした。 人柄を反映したものだろう。

 物の本によると、浮気な女房が亭主をあざむき通す筋で後味が悪いためか、 演者たちは、いろいろと苦心している(興津要さんによる)。 初代の柳家小せ んは、女房が「以前勤めをしていた時分の馴染の男に会ったので、家へ引き入 れ、無理に酒を勧める」「何も変なことをしてやしまいし、昔話をしているんじ ゃないか」という関係に設定した。 古今亭志ん生は浮気の匂いのする部分を 省略し、亭主の留守に訪ねてきた知人を押入れに隠したことから起こったこと にし、兄貴分が女房を説諭するのに「女は三階に家なし」「貞女屏風にまみえず」 「じかに冠をかぶらず、おでんに沓(くつ)をはかず」などと、わけのわから ぬギャグを並べて、聴衆の不快感を除去していた、という。 牛六師の「風呂 敷」は、志ん生の設定を踏襲したものだったわけだ。