東京高速鉄道社長・門野重九郎 ― 2012/11/30 06:46
中村建治著『メトロ誕生』で、もう一つ興味を感じたのは、門野重九郎(三 重生まれの当時五十八歳、大倉組副頭取。「かどのちょうきゅうろう」とルビ→ 後述)という人物だった。 門野重九郎は、早川徳次の東京地下鉄道が、まだ 浅草~上野間を懸命に建設している真っ只中の1926(大正15)年8月末、新 しい地下鉄の会社・東京高速鉄道を設立する社長として登場する。 門野らは 「早川の東京地下鉄道は、成功するに違いない」と読んで、東京市が地下鉄の 免許線を持ちながら震災復興などによる財政難で建設できない路線の、建設代 行を出願したのだった。 門野重九郎は東京地下鉄道の地下鉄工事を請け負っ ている大倉組(建設費の目途が立たない中、大倉喜八郎社長が独占請負契約な らば支払いは完成後の決済でよいと申し出て、着工した。現・大成建設)の副 頭取だったから、早川は激しい不快感を覚え、即座に代行建設の阻止のための 行動を起こす。
「門野」という苗字と「三重」から思い浮かぶのは、門野幾之進である。 安 政3(1856)年、鳥羽藩家老門野豊右衛門の長男として生れ、福沢諭吉の慶應 義塾に学び、若くして「ボーイ教師」と呼ばれて教壇に立ち、ずっと福沢と慶 應義塾を支え、千代田生命、千代田火災保険を創立する実業家になり、『時事 新報』や交詢社など、さまざまな組織のトップとなった。
思った通り、門野重九郎は、門野幾之進の12歳下の弟だった。 慶應義塾 の経済学者人物データベースhttp://bdke.econ.keio.ac.jp/(坂本慎一と署名が ある)によると、門野重九郎(じゅうくろう)は1867(慶應3)年9月生れ、 1958(昭和33)年4月28日没。 1877(明治10)年、兄・幾之進のもとに 送られ上京、翌年和田塾(後の慶應義塾幼稚舎)に入る。 1884(明治17) 年に慶應義塾本科を卒業した後、東京帝国大学へ進学した。 それは兄・幾之 進の勧めによるもので、当時はまだ義塾出身者が実業界で活躍していなかった からではないかと、後に重九郎が回想しているそうだ。 東京帝国大学では官 費生となり、1891(明治24)年工科を卒業、兄の勧めで渡米し、ペンシルバ ニア鉄道に4年勤務した後、イギリスなど欧州各国をまわって1895(明治28) 年帰国し、山陽鉄道(中上川彦次郎社長)に入社した。 数年後、大倉喜八郎 に面会を求められて大倉組に移り、ロンドン支店長を10年務めて、帰国後す ぐ大倉組副頭取となった。 東亜興業、共栄起業、東京湾土地、東洋毛糸、東 京高速度鉄道(東京高速鉄道か)、中央工業、日本無線電信電話、山東鉱業、 金福鉄路公司、東洋モスリン、立川飛行機、日本共立火災、大倉土木で会長や 社長を務め、北海道拓殖銀行や大倉火災海上など20を超える会社で重役を務 めた。
小人閑居日記 2012年11月 INDEX ― 2012/11/30 07:25
5641 日本社会の変化と「就活」<小人閑居日記 2012. 11. 2.>
5642 西村淳さんの『身近な物で生き残れ!』<小人閑居日記 2012. 11. 3.>
5643 身支度、トイレ、水の確保<小人閑居日記 2012. 11. 4.>
5644 〔寒さ〕対策、〔火〕と〔灯火〕<小人閑居日記 2012. 11. 5.>
5645 秋山駿著『忠臣蔵』~泰平の元禄、平和の平成<小人閑居日記 2012. 11. 6.>
5646 刃傷事件を仕組んだのは?<小人閑居日記 2012. 11. 7.>
5647 『松蔭日記』が描く綱吉と吉保の時代<小人閑居日記 2012. 11. 8.>
5648 泰平の時代の武士道<小人閑居日記 2012. 11. 9.>
5649 徳川綱吉と学問、元禄文化の全盛へ<小人閑居日記 2012. 11. 10.>
5650 柳澤吉保は大変な政治家だった<小人閑居日記 2012. 11. 11.>
5651 五代将軍徳川綱吉の再評価<小人閑居日記 2012. 11. 12.>
5652 「綱吉は十五代で一番よい将軍」<小人閑居日記 2012. 11. 13.>
5653 「徳川綱吉は名君だった!?」<小人閑居日記 2012. 11. 14.>
5654 「立冬」と「帰り花」の句会<小人閑居日記 2012. 11. 15.>
5655 「すき焼」関東風と関西風<小人閑居日記 2012. 11. 16.>
5656 小津安二郎監督、茅ヶ崎館の「すき焼」<小人閑居日記 2012. 11. 17.>
5657 雷門牛六師の「風呂敷」<小人閑居日記 2012. 11. 18.>
5658 「七段目」柳家恋さんの秘密<小人閑居日記 2012. 11. 19.>
5659 馬ふんさんの「免許更新・75」<小人閑居日記 2012. 11. 20.>
5660 三浦半島・小網代の森、流域アプローチの岸由二教授<小人閑居日記 2012. 11. 21.>
5661 「流域」からの豪雨水害防災・減災<小人閑居日記 2012. 11. 22.>
5662 「東路の道の果て」は隅田川<小人閑居日記 2012. 11. 23.>
5663 小泉武夫さんの「伝統食、発酵と東北人の知恵」<小人閑居日記 2012. 11. 24.>
5664 〔漬物文化〕〔灰の文化〕「大豆」の力<小人閑居日記 2012. 11. 25.>
短信 5665 「地下鉄の父」早川徳次<等々力短信 第1041号 2012.11.25.>
5666 松本尚久さんの「近代芸能としての「落語」」<小人閑居日記 2012. 11. 26.>
5667 落語の中の近代<小人閑居日記 2012. 11. 27.>
5668 福沢桃介、わが国初の地下鉄を計画<小人閑居日記 2012. 11. 28.>
5669 福沢桃介と杉浦非水・翆子夫妻<小人閑居日記 2012. 11. 29.>
5670 東京高速鉄道社長・門野重九郎<小人閑居日記 2012. 11. 30.>
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