小三治の「やかんなめ」後半2014/01/10 06:40

 これ、可内(べくない)、急ぐな、婦人が頼みがあると申しておる。 お助け 下さい。 顔の色が変っているな、仇に巡り会ったか、拙者は神道無念一刀流 だ。 それとも原の中に突然賊が現れて、主人をさらって行ったのか。 男で はない、女か、けしからん女だ。 なに、癪か。 身共の家内も、ときどき癪 を起す。 これに薬籠がある。 なに薬では治らない、わかった、合薬であろ う。 女の口では言いにくいな。 マムシ指か、下帯か、今日は実は越中ふん どしでな、くくり付けるにはちと足りない。 可内(べくない)、旦那様のは常 よりは五寸長い、と。 戯言を言っている場合ではない。

 実は、やかんをなめるという合薬でございまして。 やかんか、身共も家来 も持っていない、家に置いて参った。 お武家様のおつむりが、やかんと瓜二 つでございまして、ぜひとも主人になめさせてあげて下さい。 なに、無礼者、 そこにならえ、勘弁ならぬ、可内(べくない)、何を笑っておる、素っ首落とし てくれる。 二つに一つとお願いをいたしました、この首をお好きなように。  何、覚悟して参ったのか、可内、指をさして笑っておるな、同じ奉公人であり ながら…、笑うのは止めろ、見ろこの女、命をかけても主人を助けようとして おる。 よし、あいわかった。 本当であれば、許しがたいことではあるが、 主人を思うそのほうの気持に免じて、ちょっとだけなら、なめさせてやろう。

 お花さん、望みを叶えてくださいます。 お内儀さん、やかんがお出でにな りましたよ。 可内、まわりを見張れ。 よほど辛かったものとみえるな。 ベ ーロベロベロ、ベーロベロ。 なめるは、なめるは。 ちょっとだけと申した ではないか。 頭をつかむな、頭をかじるな。 まだか、早うなめんか。

 お内儀さん、お気が付きになりましたか。 アァ、みんないたのか。 こち らのお武家様のおつむりをなめさせて頂いて、癪が通じたのでございます。 苦 しさゆえ、知らぬこととは言いながら、申し訳ないことでございます。 本当 だ、治ったのか、これから表に出る時は、やかんを持って出るように。 先々 の沿道の者が迷惑をする。 重ねてお願いでございます、お屋敷をお教え下さ いませ。 たびたび、なめに来るのか。 いいえ、お礼を。 家族には内緒だ、 行け、行け。 今度、どこかで顔を合わせるようなことがあっても、挨拶など するな、そのほうとワシは他人であるぞ、心してまいれ。 可内、まだ笑って おるのか、行くぞ。

 何ということだ、今日という日は。 武家が歩くと、頭をなめられるなど、 聞いたこともない。 でも、人を助けるというのは、気持の良いものだな。 ど うです、表に看板を出したら、「当屋敷に癪に良く効く合薬あり」と。 (頭に 手をやり)頭がベトベトだ、やっ、可内、ここを見てくれ。 このあたりがヒ リヒリ痛んで参ったが…。 旦那さま、歯型が二枚ついております。 ガリガ リと、歯を立ておったからな、南無三。 傷の具合はどうじゃ。 お案じなさ いますな、まだ洩る気づかいはございません。