公式伝記『ウィンストン・S・チャーチル』2024/06/04 06:57

広谷直路著『「泣き虫」チャーチル 大英帝国を救った男の物語』(集英社インターナショナル)の後半は、チャーチル首相とフランクリン・ルーズベルト大統領がどのように協力し、チャーチルは米軍機のB-25やクリッパー飛行艇でアメリカ、エジプト、イラン、ソ連と飛び回り、三国同盟の枢軸国イタリア、ドイツ、日本を破っていくかの物語である。

1945(昭和20)年4月1日、太平洋戦線のアメリカ軍が沖縄本島に上陸した。 4月12日、ルーズベルト大統領が、ジョージア州ウォームスプリングスの「リトル・ホワイトハウス」で、脳内出血で死去、ハリー・トルーマン副大統領が第33代大統領に就任した。 17日、故大統領のイギリスにおける追悼式がセントポール大聖堂で行われ、チャーチル首相は、あふれ出る涙を拭おうともせずに式場をあとにしたという。 4月28日、ムッソリーニをパルチザンが銃殺、4月30日、ヒトラーが総統官邸で拳銃自殺した。

広谷直路さんは「あとがき」で、1965年1月24日に死去したウィンストン・チャーチルの《公式伝記》についてリポートしている。 1962年、チャーチルが88歳を迎える年になって、父親の伝記執筆をライフワークにしたい思いの長男ランドルフにオーケーを出した、ただし、生前の出版はまかりならぬという条件で。 ランドルフは、オックスフォード大学の大学院を修了したばかりのマーティン・ギルバート(25歳)をアシスタントに公式伝記『ウィンストン・S・チャーチル』のプロジェクトをスタートした。 1966年『第1巻 ユース』から刊行を開始、1968年ランドルフが亡くなり、ギルバートが後継となり、2015年ギルバートが亡くなると米国人教育家ラリー・アーンが引き継ぎ、2019年、全31巻(3万ページ超)、資料編23巻が、刊行開始から53年目に完成した(出版元Hillsdale Press)。

広谷直路さんは、高校生のころ鶴見祐輔『ウィンストン・チャーチル』に出合い、30歳代後半で河合秀和教授の『チャーチル』に巡りあったのを契機に、さまざまなチャーチル本を読むようになったという。

小泉信三さんの『座談おぼえ書き』(文藝春秋)に「チャーチル」という一文がある。 チャーチル25歳のある事件を書いているのだが、「ただこの一事件のみを以てしても彼れの伝記は一読に値する」とある。 その一事件については、また明日。

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