桂吉坊の「けんげしゃ茶屋」後半2025/01/24 07:06

 一夜明けて、新玉の初春、ご本宅で正月行事を済ませた村上の旦那、船場の本宅を出て、南へ南へ、心斎橋、戎橋を渡って、橋筋中筋の南側、南地五花街、色街の元日は華やかで、一段と陽気なこと…(お囃子と下座唄が入る)。 はい、ご免。 まあ旦さん、えらく早いお越しで、明けましておめでとうございます、冬歳(ふゆとし)は一方ならぬお世話様になりまして、お礼を申し上げます、と女将さんが仰山に挨拶する。

 この家に、何か変わったことはないか、今朝方初夢を見た。 国鶴が枕元に座っていて、遠い所へ行かなければと言って、そばの井戸へドボーンと飛び込んでしまった。 すると、すぐにお前さんも、飛び込んだんだ。 何もございません、けったいな夢ですね、この通り無事で、夢は逆夢といいますよってに。 夢は逆夢というから、ほんまはあんたが先に飛び込んで、後から国鶴が飛び込むのかもしれんな。 鶴亀つるかめ、今日は元日でっさかい、どうぞ堪忍しとくなはれ。 夢のこっちゃ。

ところで、松右衛門さんの顔が見えんが…。 早々から、お礼に参っております。 えっ、葬礼にいてる。 年始のお礼です。 で、国鶴は? 今、身を仕舞うております。 えっ、もう身を終うてしもたか、そやさかい常から体に気ィつけよと言うてるのに。 もうそんなおかしなことばかり、二階で身じまいをしてます、髪を。 おろしているのか? 髪の手入れとお化粧をしとおります。 国鶴、旦さん、ゲンの悪い事ばっかりおっしゃるがな、早く降りてきて。 晴れ着に、稲穂の簪、でけたな、大阪中の春がここに集まったようじゃ。 二階に上げてもらおうか。

正月飾り、蓬莱に餅花か。 この短冊、架け替えたな。 錆田(さびた)先生が、お父っつあんの還暦を祝って、林松右衛門でっしゃろ、「のどかなる林にかかる松右衛門」と。 けったいな句やな、「のどが鳴る、はや死にかかる松右衛門」か。 そんなもう。 ご祝儀ですから一つ。 頂戴する。 これ、何や? お屠蘇です。 土葬。 とそ、でんがな。 濁点(にごり)打ったほうが、陽気でいい。 冷やよりも、温いのがいい。 お屠蘇は薬酒、医者と縁が離れます。 熱い、火燗したな。 銅壺のお湯で。 湯灌やな。 お重は、仕出し屋で誂えたのか? お母ちゃんが作りました。 年寄、台所で高い下駄履いて、転んだらそのままや。 蓋を取っても、中が見えん、青海苔を一枚かぶせてあるなんて、洒落てる。 はがすと、仰山、死に目の顔が…。 煮しめです。 これは何? 黒豆と数の子。 苦労豆、数の子は貧乏人の子沢山。 蒲鉾は自慢のもの、朝ほど四国の親戚から。 地獄の親戚? 黒いのは? 昆布巻き。 棺巻き、中から死人が顔を出してる。 ニシンでんがな。

 旦さん、いつもの四人(よったり)、一竜はんに芝竜はん、絹松っあんに小伝さんが、こちらのお座敷から初出がしたいと…、呼んで踊らせてやって下さい。

 初詣に連れてって下さい、天満の天神さん。 菅原道真公、無実の罪で九州大宰府に流されて、一人寂しう死にはった。 ほな、恵比須さん。 今宮の恵比須さんは耳が遠うて目が近い。 嫌いッ、生玉はん。 生玉はんか、生国魂はんは松屋町筋をまっすぐ、迷わずただ一筋じゃ。 あて、もうどこにも行かへん。 誰か、来たんじゃないか。 四人、来やはったか、さあお上がり(三味線が入る)。 旦さん、明けましておめでとうございます。 みんなきれいに出来たな。

 陰気な座敷が、陽気になったところへ。 ご免よ、村上の旦那さんは、こちらで、「冥途から死人が迎えに来た」と御取次ぎを。 お友達も、お友達や。 京都の御影堂(みえいどう)の渋谷藤兵衛という男や、略して、めいどのしぶとうや。 上げて、上げて。 伴の者を表に待たせてあります。 このへんが、南で売り出しの綺麗どころだ、一竜に芝竜。 生霊に死に霊、でっか。 絹松に小伝。 死ぬ松に香典か。 これがな、わしが最近ひいきにしている妓や、国鶴、まだ洟垂れ芸者やけどな。 鼻もたれるやら、首つるか。 キライッ! 

 南の幇間、繁八が通りかかる。 表に葬礼(そうれん)の行列が来ていて、上は大騒ぎ、下ではおかんが泣いている。 誰が死んだんだ、松右衛門さんには昨夜風呂屋で会った。 ハッハッハ、今日元日に葬礼ごと、新町のあのババの旦那、村上の旦那なら、これぐらいのことやりかねない、わたいが来たからにゃ、任せてください。 上がって、明けましておめでとうございます。 村上の旦さん、いつもご贔屓いただきまして有難うございます。 なんだ繁八、呼びもしないのに上って来て、目出度い目出度いと騒ぎおって、幇間といえばえらい見識のあるもの、わしはいつもいうておるじゃろう。 人間、いつなんどきでも、遠い所へ旅に出ねばならぬ。 今、国鶴と悲しい別れの盃をしに来てますのじゃ。

 しまった、しくじった、と思いましたさかい、繁八、すんまへん、ちょっとご免を、と下に降り、表に飛び出した。 しばらくすると、自分も死に装束になって、また二階に上って来て、今日から繁八改め死に恥と改名致します。 頓死玉の憂いに参りました。 これは心ばかりの位牌でございます。 うーむ、ひねは後からはじけるてなあ、繁八改め死に恥か、年玉のお礼が頓死玉の憂い、心ばかりの祝いを心ばかりの位牌とは、出来た、気に入った。 よし、今まで通り、贔屓にしてやるぞ。 ご機嫌が直りましたか、ああ、目出度い、と、またしくじった。

桂吉坊の「けんげしゃ茶屋」前半2025/01/23 07:14

 桂吉坊(きちぼう)は、濃茶の羽織、銀鼠の着物。 1月15日、関西では松の内の最終日ということになっています。 十日えびすとか、とんど焼きも終わって。 「けんげしゃ茶屋」は、中学2年の時に初めて聞いたネタで、米朝師匠にそう話したら、何で聞いたかという、ラジオで聞いて面白かったというと、神経がおかしい、先祖に噺家を殺したのがいるのではないか、と言われた。 これは大晦日から、元日限定の噺で。 米朝師匠は、南地の大和屋、京都の先斗町、宮川町に弟子たちも連れてってくれたので、その下座にいさせてもらった。 七十七、喜寿を、お茶屋で華やかに祝うと、芸妓も同世代がやってきた。 どこからともなく、お姐さんが集まる、お姐さんの一択、女将さんも米朝師匠とため口をきく。 ミナミのとあるお茶屋、二階の座敷でお鍋、三味線を弾くのは、師匠より年上の大きいお姐さん、三味線を杖に上がってくる、ビールはお客が取りに行く。 阪口純久(きく)女将さん、南地宗右衛門町の大和屋、逆立ちをなさる、女将の太鼓、百戦錬磨、目の前で見ていると、その眼付きの鋭いこと、殺されるんじゃないか、と。 芸妓はキャラクターだけで生きている。 色街は、縁起(げん)をかつぐ。

 村上の旦那! 又兵衛さんか。 明日が元日、大晦日、ウチにいてられん。 奥は春の支度で忙しく、店へ出ると番頭が奥にいて下さいと言う。 いてる所がない。 又兵衛さんも身の置きどころがない、ワタイは掛け取りがくるさかい、と。 旦さん、お茶屋なら福の神の到来と喜ぶ、新町のいつもの店へお供します。 あそこは、行けんことになっている。 大門のところの幾代餅、職人が餅を搗いているのを見ていた。 粟餅、あんころ餅。 黄色い黄金餅を、つぶして餡をかけずに、竹の皮に包んでもらった。 茶屋では盃に手を出さず、お腹の具合が悪い、出すものを出したら治る。 オマルをここに持って来てくれるか。 そんなことは出来ないというから、そのままにしておいた。 懐から粟餅を一つ落として、気分が治った、出すもの出したから、ここでやってしもうた、と。 足元に、それが落ちている。 雑巾だ、灰だと、大騒ぎになったから、わしが片付けるからいい、と拾って食べた。 ワッ! となった。

 幇間の一八など、ここをどこだと思う、旦さんがそんなことをなさるとは、と。 それで、竹の皮を出して、私が頂戴しますと言っていたら、お前の額(でぼちん)に百円札を貼ったのに…。 早く、言って下さいよ。 その内に、ほんまにお腹が痛くなった、と一八とお手洗(ちょうず)へ。 お手洗の手前で、ここでと、やってしまった。 途中、一八は、百円を、十円から、三円五十銭まで負けていた。 入口で、ほんまものを、口まで持って行った、あいつの顔ったらなかった。 以来、新町へ行くと、ババの旦那、ババの旦那と言われるので、よう行かん。

 ミナミへ行くか、店を出してくれというので、国鶴に一軒持たせた。 変わった家で、「けんげしゃ」、御幣かつぎ、気にする、気にする。 わざと縁起(げん)の悪いことを言うと、顔に稲妻が走る、それを見て、一杯飲むんだ。 又兵衛さん、明日、体空いてないか。 元日ですから、空いてますが。 十人ほど、人を集めてくれるか。 これ(金)次第で、集められますが。 注文がある、葬礼(そうれん)のいろ(衣装)行列、麻の上下(かみしも)を着せて、野辺送りのかっこうで、昼頃、わしを訪ねて来て欲しい。 「冥途から死人(しびと)が迎えに来た」と言って。 明日は元旦でっせ、頭から煮え湯を浴びせられる。 そんな乱暴なことはせえへんよ。 上がってきたら、二人でせいぜい縁起の悪いことを言うんだ。 あとは、わしの胸のうちにあるさかい。 場所は、橋筋(はっすじ)中筋東に入った南側、国鶴の鶴の字を取って、鶴の家(や)という看板が出ている。 と、相談がまとまった。 どうぞ、よいお年を。

柳家権太楼の「ぜんざい公社」2025/01/22 06:47

 この年で、この時期、柳家とくれば、うどん屋、幾代餅、鼠穴かと思うでしょうが、「ぜんざい公社」。 何でも民営化される時代なのに、「ぜんざい白書」が出て、成年男子の0.003%しかぜんざいを食べないことが判明して、「もっと、ぜんざいを召し上がれ」と「ぜんざい公社」が出来た。

 公社は、上野の鈴本の隣、つぶれそうな酒悦の中、国のやることだから、総合受付がある。 新聞を見て、「ぜんざい公社」というのがあるのを知って、ぜんざいを食べたいと思って来ました。 ご本人ですか、三番の窓口へ行って下さい。 ご本人ですか、書類を作成しますから、答えて下さい。 そんなのが必要なんで? 国がやってるんですから。 お名前は? 小沢一郎。 おいくつですか? 38。 38で、ぜんざいを食べようってんですか。 職業は? 会社員。 会社員、ヒラですね、ヒラ顔してる。 ご家族は? 妻と子供が二人。 何で、家族まで聞くんで? 万一の時、引き取ってもらうんで。 ご両親は? 長野で、材木屋をやってます。 ごケンザイですな。 好きな色は? 赤。 赤はよくない、情熱の赤、信号で飛び出すと、車に撥ねられる。 尊敬する人は? TBS落語研究会の広中(信行)さんを尊敬してます、誰も知らないけれど、よい人で。 他に、尊敬する人は? 落語家のさん喬。 嫌味ですね、師匠、さん、付けないで、今呼び捨てにした。 趣味は? 自衛隊の飛行訓練を見ること。 ヘンタイですね。(拍手!)拍手するところじゃない。 二千円の収入印紙を貼って下さい。 二千円……、止めます。 小沢さん、止めるの、ここまで作った書類を破棄すると、公文書偽造で捕まる。 収入印紙を貼って、判を捺す。 健康診断書をもらいに、三階の診療室へ行って下さい。 健康増進のために、エレベーターは使わないように。

 なんで健康診断書が必要なんですか? 小沢一郎さん、38。 ぜんざい食べて死んだことはないですね。 血圧を測ります、腕を出して。 あら、高い、138あるよ。 表に出た所で、胡麻麦茶を売ってます、130過ぎたら胡麻麦茶。 買って来ました。 120に落ちてる。 まだ、飲んでない。 気休めだ。 聴診器を当てます。 息を吸って、はい、どんどん吸って、吸って。 吐かしてよ! 胸が悪いね。 これ持って、七番の窓口へ行って下さい。

 ぜんざいに、お餅を入れますか? 入れます。 普通の餅と、サトウの切り餅、どちらにしますか? 普通ので。 食べると、違いがわかる。 サトウの切り餅で。 小沢さん、特定銘柄は500円。 じゃあ、普通ので。 書いちゃったから、破棄すると、公文書偽造になる。 餅は、生ですか、焼きますか? ネズミじゃないから、焼きます。 火気使用許可証を地下でもらって来て、付けて下さい。 付けました。 三階の食堂へ。

 嬉しかったね、ここにたどり着くまでが大変だった。 誰に頼むのかな。 おばさん! すいません、おばさん! あんた、何て言ったの、汚いおばさんなんて、セクハラじゃないかって、怒られるよ。 事務員さん! 少々、お待ち下さいませ。 来た、来た、有難いぜんざい。 お餅は、サトウの切り餅、ペチャペチャ。 いよいよ、ぜんざいだ。 事務員さん! お砂糖入れてないんですか? いいんですよ、甘い所は全部、こっちで吸いますから。

 だから、やりたくなかったんだよ。 権太楼、斜めのお辞儀をして、下がった。

三遊亭兼好の「徂徠豆腐」後半2025/01/21 07:02

 何日か経って。 チャイチャイ! 七兵衛さん、いらっしゃいますか、ちょいと話がある。 探した、探したよ、ほうぼう、ようやくここにたどり着いた。 今年中は、どうなるかわからねえが、材木屋やなんかでね、二月の頭には何とかします、親方が旦那に十両でつないでください、と。 また、出来上がったら参ります。 チャイチャイ!

 知ってる人かい? 知らない。 十両、危ないよ。 だまされるよ、あれは泥棒の目だ。 十両、置いてった。 置いてけドロかもしれない、十両使うだろ、無くなった頃に来るんだ、返せって。 ガラッと、態度が変わる、二十両から五十両、持ってっちゃう、そういう詐欺だよ。 だけど、カタが何もない。 私(お光)かも、価値のあるものは……、お金持が見染めたんじゃないかしら。 カタは、お妾。 ないと思うよ。 困っている時の金は有難い、つい手をつける。

 二月の声を聞いて、十両が無くなった。 チャイチャイ! あたしが出る。 七兵衛さん、いらっしゃいますか。 いない。 おかみさんでもいい。 なんだ、七兵衛さんも、いるんですか。 前へ出ろ、近くで見ろ、そんな価値はないだろう。 エッ、おかみさんを……、十両もらってもいらない。 見ていただきたいものがある。 親方と三人に。

 これなんです、急いだ、急いだ。 前より、一回り大きくなったでしょう、二階もある。 よろしくお願いします。 あなたの家です。 荻生徂徠先生をご存知でしょう。 知ってますよ、大学者、将軍様と直に話ができるという。 違う人の家を建てたのか?

 先生が来ました。 駕籠に乗って立派なお侍が……。 上総屋さん、お久し振り。 私ですよ、お忘れですか? トーフ屋さん。 ヤッコ先生! 立派におなりになって。 急にいなくなって、心配したんです。 仕官をして、忙しく日が過ぎて、ようやく暇、火事になったと聞いて、この棟梁にいろいろお願いをして。 今、わしがあるのは、そなたのおかげ、万分の一も返せぬが、この家で……。 棟梁でしたか、何も話をしませんでしたね。 お前さんの家だよ。 何も言えねえ、おっかあ、何とか言ってくれ。 親方、代りにお礼を。 有難うございます。 油揚げをつけてりゃ、もっと立派な家になったかも。

 上総屋七兵衛、新しい店で、豆腐を作り始めた。 この噂が広がり、江戸っ子はこういう話が好き、ドーーッと客が並ぶ。 七兵衛さんの豆腐とおから、買って来たよ。 したじをかけて、どうするんだ。 お箸で押して、チュウチュウ、ツルツル、ハーフハフハフと食うんだ。 おからは、したじをかけて、朝昼晩と食えば、火災保険になる。 徂徠の伝手で増上寺のお出入りも許された。 荻生徂徠、出世豆腐というお噺で。

三遊亭兼好の「徂徠豆腐」前半2025/01/20 06:56

 兼好は、鼠色の着物と羽織。 15日というと、先は成人の日、娘さんたちが綿々の白いのを首に巻いた着物姿、お腹いっぱいになったハゲタカみたいな恰好をしている。 会社でスマホを見せて、これウチの娘、成人式、着物はレンタルじゃない、と。 そういうのに、綺麗な人はいない。 未来が広がって、いいようで。

 噺家は、暢気な商売で、朝、早起きはいない、遅い。 先輩は、9時、10時に起きれば早い方で、ある師匠に11時半に電話したら、そんな下らない用で朝早くから電話するな、と叱られた。 いい商売で。

 早起きの代表と言えば、豆腐屋。 七兵衛、お光っあん、ここだよ、いい店だろ。 お前の店だ。 親方! 独り立ちさせる、ようやくいい店が見つかったんだ、居抜きで。 暮の内に支度をして、来年から商いをやれ。 お前たちなら、間違いがない、暖簾分けだ。

 元日から三日まで我慢をして、四日、トーーフィーー! と出掛けた。 小声で、トーフ屋さん、窓から手を振っている。 誰かに呼ばれているような気がする。 窓から体を半分出し、二丁頂きたい。 ヤッコでよろしうございますか。 何か皿のようなものを、お武家さま。 武士は、いきなり二丁の豆腐を、チュウチュウ、ツルツルと吸い込み、体が冷えたのか、ハーフハフハフと震える。 本物の味だ、幼き時よりの好物、値が安く、食べやすくて、滋養になり、骨もない。 上総屋七兵衛と申します。 その名前、憶えておきましょう、まだ何か? お代を。 一丁四文で、八文。 こまかい持ち合わせがない。 では又、毎日参りますので。

 小声で、トーフ屋さん。 昨日より、弱ってるようだ。 豆腐を二丁。 チュウチュウ、ツルツル、ハーフハフハフ、よい味であった。 昨日のとで、十六文。 こまかい持ち合わせがない。 では又、毎日参りますので。

 (トーフ屋さん)、とうとう声が出ないで、手を振っている。 ヤッコを二丁。 チュウチュウ、ドドドッ! 二十四文です、たくさん釣りが出来ました。 すまん、わしは一文無しだ、払うお足がない。 小商人(こあきんど)を、からかってもらっちゃあ困るよ。 からかってない、恥を申すが、去年の暮から一文無しだ。 おせち、年越しそばもなしに四日目、その方の声を聞いた。 言い訳ばかりだ、それがしも武士の端くれ、この形で腹を切ることにする。 待って下さいと、七兵衛が家の中を見ると、生きていく道具はない、本ばかり。 学者先生、物識り屋、頭がいいんでしょ、それを使って稼げるんでしょ、商いをなさい。 学問をすれば、わしの後ろにいる何千人、何万人が助かる。 学問を捨てることはできない、世に出るまでは。 わかりました、恵むんじゃない、お前さんの後ろにいる何千人、何万人の人を助けるんだ。 遠慮しないで、豆腐二丁と、それに、おからを。 あの兎の餌。 したじをかけて、朝昼晩と食いなさい。 久しぶりに、温かい食べ物を食べたが、よいものだ、と涙でぐちゃぐちゃ。

 トーーフィーー! 出掛けるよ。 ちょいと、お待ち、どこへ行くんだ、浮気してるんだろ、どこかにいい女がいて、弁当箱持ってくんだろ、間男、「おからでお大事に」って。 ヤッコ先生だよ、これこれこういう訳だ。 面白いじゃない、お結びかなんか作ろうか。 トーーフィーー! おから屋さん! 少し元気になりましたね、うちのカカアが、お結びはどうかって。 白いマンマのお結びか、パクッ、アグッ、アグッ! 一つくらいで、泣かないで。 まともに食ってないから。

 豆腐屋の七兵衛、ある日悪性の風邪に罹り、寝込んで一週間経った。 ヤッコ先生が気になる。 向うから来ればいいんだが、水臭え。 いつもより早目に、トーーフィーー! とんとん、先生、ヤッコ先生いないよ。 お隣に聞いてみよう。 こないだ、お侍が沢山来て、大八車に本を積んで持ってった、あの人も連れて行かれて、いないよ。 毎日、運んでいたのに、戻る気配がない。 貸家札が出て、五月、若い夫婦が越して来た。

 秋風が、十一月には冷たい風になる。 変な臭いがして、どこから火が出たのか、燃えて来て、危ないことになった。 火は豆腐屋を包み込み、店が焼け潰れた。 翌朝、何も無くなった、せっかく親方にしてもらったのに。 悪いことは、何もしていないのに。 どうする、首をくくるしかない。 親方が見舞に来た。 親方、こんなことになっちゃって。 しかたがない、生きていりゃあ、いろんな坂の上り下り、ま坂ということがある、また二人でウチで居候すればいい。