「三種の神器」の所在と重視される局面 ― 2005/08/28 08:35
ことしの3月に出た『岩波 天皇・皇室辞典』(原武史、吉田裕編集)の「三 種の神器」(原武史)に(「じんぎ」と振り仮名、平凡社『世界大百科事典』は「じ んき」だった)、私の知りたいことがきちんと整理され、さらに驚くべきことが 書いてあった。
その所在については、「八咫鏡は伊勢神宮内宮(皇大神宮)に、草薙剣は熱田神 宮に、八咫鏡の形代(かたしろ)は宮中三殿の賢所に安置されているほか、剣の 形代と勾玉は吹上御所内の「剣璽の間」に奉安されている」と、明快だ。
近世までの歴史的背景として、「神器が大きな意味を持つようになるのは、南 北朝時代になってから」で、「南朝の思想的な指導者であった北畠親房は、『神 皇正統記』の中で、(中略) 「三種の神器」を根拠として、南朝の正当性を説く とともに、剣と鏡はそれぞれに熱田神宮と伊勢神宮に祀られているものが本物 であり、失われたものはすべてその形代であるから神器はみな無事に伝えられ てきたと主張した。」 「18世紀から19世紀にかけて国学や水戸学が盛んにな り、天皇に対する関心が高まってくると、神器は再びクローズアップされるよ うになる。」
「明治時代になると、神器には法的な根拠が与えられ、「祖宗の神器」と呼ば れるようになる。1889(明治22)年制定の皇室典範第10条に、「天皇崩するとき は皇嗣即ち践祚し祖宗の神器を承く」とある通りである。ただし、新天皇の践 祚に際して移すのは形代の剣と勾玉だけで、形代の鏡は動かさない。これを「剣 璽渡御の儀」という。戦後の皇室典範では、第4条に「天皇崩じたときは、皇 嗣が、直ちに即位する」とあるだけで、神器に関する規定はなくなり、神器は 皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の1つにすぎなく なった。けれども現天皇が即位した1989(平成元)年には、「剣璽等承継の儀」 がただちに行われており、儀式自体はなくなっていない。」
これからあとが、注目の事実なのだが、それは、また明日。
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