風太郎の「大ウソ」遼太郎の「小ウソ」 ― 2006/02/07 08:18
NHK『知るを楽しむ』“私のこだわり人物伝。”←(。の付いていることが最 近わかった)の1月は、フランス文学者・鹿島茂さんの「山田風太郎 大ウソが 語る「真実」」だった。 山田風太郎の歴史小説は、歴史そのものを書いている 歴史書ではなく、文学を書いているから、ジワジワと効いて来る。 文学とは、 人間の真実にふれるもの。 その真実をつかみ出すのに、あえて大きなウソを ついて、ウソの中にある、極端にいえば、ウソの中にしかない真実をつかみ出 そうとする、のだという。
鹿島茂さんは、山田風太郎の明治物シリーズと司馬遼太郎の『翔ぶが如く』 が、扱う時期も登場人物も重なるので、その細部に注目して、方法の違いを見 る。 1872(明治5)年、フランス視察に出かけた川路利良(後に警察制度を創始) がパリへの車中で、急に便意を催し、その場で新聞紙の上にいたし、窓外に捨 てる事件があった。 山田も司馬も、それを描いているが、同席していた登場 人物が違う。 山田のは、井上毅(こわし)と成島柳北。 司馬のは、沼間守一 と河野敏鎌(とがん)。 鹿島さんは、史実に忠実なのは司馬の方で、山田はこ れを大きく物語を展開・発展させる踏み台にしているという。 同じ時期に井 上毅と成島柳北がフランスを訪れてはいた。 彼らを列車に同乗させたのは、 川路利良が後に成島柳北と対立し、警視庁総監となった川路は成島を逮捕する ことになるからで、山田は川路を冷酷な男として描いた。 司馬遼太郎にも、 小さなウソがあると、鹿島さんはいう。 司馬は、川路の乗った車両を、ドア が沢山あって横に長椅子の並んだ通路のない三等車として描いたが、当時のエ リートが三等車に乗るはずはない、コンパートメントだったろう、と。
史実と史実の間に、わからない空白がある。 その間をつなぐ方法が、司馬 遼太郎の場合「おそらくこうであろう」とするのに、山田風太郎では「こうで あってもいいはずだ」となると、鹿島さんはいう。
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