西郷隆盛と山県有朋 ― 2006/02/10 07:11
今日は、鹿島茂さんの「山田風太郎 大ウソが語る「真実」」の内容ではない。 西郷隆盛に可愛がられた川路利良が、西郷を征伐しなければならなくなったと いう話で思い出した。 去年の6月、NHK『その時歴史が動いた』でやった二 回続きの「さらばサムライ」~西郷隆盛 徴兵制の決断~と~西南戦争・田原 坂の真実~だ。 こちらは西郷と山県有朋の関係を扱った。 面白く見たのだ が、詳細は忘れてしまった。 関係の本などで、補いながら書く。
長州の山県有朋は、薩長連合による倒幕の過程で西郷との親密な関係をつく った。 維新後、兵部省に出仕、それが陸軍省になってから大輔、陸軍中将と なり、軍の実権を握っていた。 番組では、山県がサムライでない軍隊をつく るため、廃藩置県と徴兵制を組み合わせる。 不平士族を抑えるために、サム ライの中のサムライ、西郷隆盛に頼み込む(当時、山県の陸軍省は政府歳入の 12%という被害を出した「山城屋和助事件」という疑獄事件の渦中にあり、番 組で山県が西郷にペコペコ頭を下げていたのは、そのためか)。 列強に対峙し うる国をつくるためという西郷の苦渋の決断もあり、明治5(1872)年11月28 日、全国徴兵の詔が出されて、鎌倉以来の武士制度は終る。
山県は、その後内務卿となって軍隊と警察の実権を握る。 そして西南戦争 では、西郷を討伐する政府軍の総司令官となった。 そこで田原坂、番組では、 物量に物を言わせようとした徴兵政府軍が苦戦を強いられたこの戦いで、山県 が徴兵制の根幹を揺るがしかねない危険な賭けに出たことを描いた。 旧サム ライを起用し、旧会津藩士などの抜刀隊が活躍、窮地を開き形勢を逆転したの だった。 政府軍の田原坂での勝利は、明治10(1877)年3月20日。
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