林家正蔵の「鰍沢」前半2017/01/02 07:40

 昔は一代法華と申しまして、と、いきなり始めた。 芝露月町の貸本屋、大 川屋新助が親父の遺骨を身延山に納めた帰り、吹雪にあって、道に迷った。 も う駄目かと思ったとき、灯が見えて、人家があった。 ごめん下さいまし。 旅 の者で、道に迷いました、この辺りに旅籠はございませんか。 この先はどん づまり、家でよかったら、あばら家だけれど、雪ぐらいしのげます。 こっち にいらっしゃい、囲炉裏に粗朶をくべて、濡れた合羽を乾かしなさい。 燃え て参りました、暖ったかい、命拾いいたしました。 年増だけど、実にいい女 で、色は抜けるように白く、豊かな黒髪を束ねている、藍微塵(みじん)の着 物に、白い伊達〆をキリキリッと締めて、茶弁慶のねんねこ半纏には、ツギが 沢山ある、東海道五十三次。 煙管で煙草を喫う、アゴ下からノドにかけての 疵が物凄い。

 芝露月町の貸本屋の大本、大川屋新助と申します、おかみさん、言葉の端々 から、江戸の方でございませんか、江戸はどちらで。 しばらく浅草の観音様 の裏ッ手に住まってました。 もし間違えたらすみません、熊蔵丸屋の月の兎 (と)花魁じゃございませんか。 わちきは月の兎。 ご無沙汰いたしており ます、私は一回だけ吉原へ参ったことがありまして、二の酉の晩に、ご厄介に なりましたのが花魁で…、夢見によく見ました。 花魁は心中なさったと、世 間で評判ですが、嘘なんですね。 いえ、やったんですよ、その時の疵がこれ で。 相手は薬屋の若旦那で、晒し者にされ、溜に送られて女太夫にされると ころを何とか切り抜け、こうして甲州の山の中で二人で暮らしている。 それ ではご主人は。 心中の片割れですよ。 考えてみると、うらやましい。 ウ チのが本町の薬屋のしくじりで、熊を獲っちゃあ膏薬をつくって、里に卸して います、今日も売りに出ていて。 道理で鉄砲がある、狂言作者なら、乙な二 番目狂言に書くところだ。

 紺縮緬の胴巻から小粒で二十五両入っているのを出して、封を切り、三両ば かり包んで、江戸の手土産代りと差し出す。 そうですか、有難く頂戴します。  ご酒をいかが。 下戸でして。 玉子酒にしましょう、シンが温まりますから。  黄味を二つばかり落して、大きな茶碗で、どうぞ、と。 フッ、フゥー、チュ ルリ、やあ、おいしゅうございます。 腹が温まって参りました、花魁は以前 よりおきれいになりましたね。 いやですよ、周りで月の輪のお熊なんて言わ れてるんですよ。 お猪口二三杯で真っ赤になる、金時の火事見舞いでして、 横になりたいんですが。 奥に布団が敷いてあるから、休んで下さい、それか ら私の客だったことはうちの人に内緒で。 お熊は、酒を買いに、カンジキを 履いて、外へ出る。

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