五街道雲助の「品川心中(通し)」(下)2016/12/01 06:10

金蔵、お前一人だけ、海に飛び込んだのか。 沖で海老を取る漁火が見えて、 天ぷらに揚げたら、さぞ旨いだろうって思った。 女から起請文を貰っていた んだろ。 命の次に大事にしていたけれど、親分に上げます。 お前、悔しい か、悔しいだろう、仕返しを考えてやった。 今夜、そのまんまの恰好で、品 川へ行って来い。 一旦死んだんだ、情けなくっぽく、行くんだ。 女を呼ん で、酒は飲むな、アンベエ悪いって言って、二人で蒲団に入ってろ。

俺と留公の二人で行く、留公は弟分ということにして。 昨夜、投網を打っ ていたら、土座衛門がかかった。 貸本屋の金蔵で、股座(またぐら)に紙が 貼り付いていて、見たら起請文だった。 お染に、今夜、お通夜だから、お前 来てくれと頼む。 金蔵さんなら今、私のところに来ているよ。 留公が懐に 兄貴の位牌を入れていて…。 おや? 今はなくなっている。 部屋へ行って 見てみよう。 金蔵はいなくて、蒲団をめくってみると、位牌がある。 女だ って、訳をいう。 とんでもねえ話だ、お前、取り殺されるぞ。 髪の毛を切 って、お金をつけて、高名な坊さんにお経を読んでもらえば、浮ばれるかもし れないって、な。

大引け前は、眠くていけねえ。 えっ、あなたは金蔵さん。 登楼(あが) らしてもらうよ。 お染さん、金蔵さんが青白い顔で、痩せ枯れた恰好で来た んで、向こうの部屋に入れた。 ここなんで。 あら、金ちゃん、お前さんか い。 こっちへお入り。 大丈夫かい。 一度は死んだんだ、向うからお地蔵 様の顔をした坊さんが歩いて来て、こっちへ来ちゃあいけない、帰れって、言 われて、生き返ったんだ。 お前は大丈夫だったかい。 ゆっくりしておいで よ、酒はどうだい? 陽気にはやりたくない、水なら飲める、末期の水。 お 刺身は? ダンゴが食いたい、白いの、枕団子。 あんべえが悪いから、もう 寝たい。 二人で蒲団に入って、おしけになった。

お客様が二人、お染さんに用があると言ってます。 貸本屋の金蔵は馴染み か。 こいつは金蔵の弟で留。 俺は昨夜、投網を打っていたんだが、土座衛 門がかかった。 素っ裸で、股座に紙のようなものが貼り付いていて、よく見 るとお前が金蔵にやった起請文だ。 思い入れがあってのことに違いない。 今 夜が通夜だ。 そんな冗談いっちゃあ、いけませんよ、金蔵さんなら私の所に 来てますよ。 兄貴の位牌を見せてやらないか。 えっ、ないのか。 落した 訳ではないけれど。 こっちですよ、ちょいと金ちゃん。 あれ、いなくなっ たよ。 蒲団の中に、これは位牌だ、「高齢者事故防止居士」。 兄貴の位牌だ。  ちょいと、これこれ、こういう訳なんだよ。 お前はいずれ取り殺されるよ。  ヒェーッ。 大事にしているもの、そうだ髪の毛がいい、いくらか金をつけて、 高名な坊さんにお経を読んでもらえば、浮ばれるかもしれない。 お染は、隣 で髪を切って、五両をつけた。 えれえ、よく切った、これで金蔵は浮かぶ、 すぐにでも浮かぶ。 チャラチャラチャラ、金蔵が踊りながら入ってきて、そ の頭じゃあ、客は取れねえだろう。 幽霊じゃないのかい、悔しいよ。 お前 があんまり客を釣るから、魚籠(比丘)にしたんだ。

柳家喬太郎の「茶代」2016/12/02 06:29

 われわれ芸人は、形形(なりかたち)をちゃんとしていなくてはならない、 と思う。 普段着も。 ヒゲや髪形も。 ちょいと無精して、中途半端な髪の 伸び方になった。 この会は楽屋にメークさんも来ているんだけれど。 この 髪の毛、微妙にトランプっぽいでしょ、白いからいいけれど、黄色かったら、 まさにトランプ。

 落語家って、紹介してくれればいいんだけれど、身分証明がない。 マイナ ンバーのカードは面倒だ。 パスポートだが、海外はほとんど行っていない。  20年ほど前、クルーズ船に乗った、渡し船じゃござんせんよ。 瀬戸内周遊、 一回は韓国へ行った。 チェジュ島、済州島、3時間ぐらい上陸した。 私の 師匠はさん喬、物真似をする人がいるけれど…(笑)、しょっちゅう海外へ行く。  ついて行ったことはない。 行こうよ、俺、師匠だよ。 知ってますよ、海外 に行けば、皆殺しになる。 私は、毎年行ってるよ。

 学校公演というのがある。 芸術鑑賞会、授業の一環ということで、聞きた くもない500人の前でやる、これがつらい。 交通が便利になって、倶知安(く っちゃん)の学校へ、日帰りで行く。 羽田まで1時間半、新千歳まで1時間 半、小樽まで1時間半、小樽駅前では手配してあるわけでなく、タクシーを拾 って1時間半で倶知安、合計7時間、往復で14時間かかり、実働は25分。 富 山、夜の落語の仕事でも日帰り。 今日も、泊まりたい、半蔵門に。  旅館などで、仲居さんに茶代を置く。 海外ではチップが当り前というけれ ど、ちょっと抵抗がある。 われわれは日頃、チップで食ってる商売。

 喜助、もうすぐ江戸だ。 おら、江戸は初めてで、楽しみでごぜえます。 仕 事が終ったら、三日四日、江戸見物することにしよう。 喜助、楽しみでごぜ えます。 旅の途中では、茶代を三文、四文置いてきたが、江戸は将軍様のお 膝元、六文から八文置かなきゃあならない。 それは旦那様のなさることで。  おらは主、お前が出した方が形が良い。 見栄、それが商人の見栄というもん だ。 六助と呼んだら六文、八助と呼んだら八文出してくれ。 おらは喜助で ごぜえます。 ヘエ、ヘエ、と言ってればいいんだ。 と、符丁を決めた。

 そこの茶店に寄ろう。 ちょっくら、ごめんなんしょ。 江戸は、忙しない ところで。 今日は遊郭という所へ。 吉原ですか、品川じゃ、最近心中があ ったとか。 素見(ひやかし)に。 雲行きが怪しくなってきた。 ポツリ、 ポツリ、降って来た。 お宅で傘を貸してくれないか。 ウチは貸傘はありま せん。 喜助、宿へ行って、二本借りて来い。 えれえ降りだな。 夕立。 御 御(おみあし)足が濡れました、雑巾を。 親切な方で。

 雨も上ったんで、ひと足先に行く、お代は連れから貰って。 供の八助から 貰ってもらいたい。 こないだは、六助だったよ、旅の符丁なんだろう。

 旦那は先にいらっしゃいました。 茶代は、おいくらで。 茶代はお供さん の百助さんから貰えとおっしゃつてました。 ちょっくら困ったな、おら三十 二助しか、持っとらん。

橘家文蔵の「子は鎹」前半2016/12/03 06:29

 橘家文左衛門改メ、橘家文蔵、オレンジ色の襦袢の衿が目立つ。 三代目文 蔵を襲名して、50日間休まずの披露興行を終えたところで落語研究会、重荷に なる高座だと。 初代の文蔵は圓蔵の弟子で、円生の兄弟子にあたり、滑稽噺 が得意だった。 戦時中、芸協に所属、金語楼の身内、昭和19(1944)年に 亡くなり、小菅に骨を埋めている。 小菅に骨というのが、何かいい。 二代 目が師匠で、穏やかな小春日和のような人、邪魔にならない芸風と言われた。  怒鳴られた記憶がない。 沢山噺を持っていて、いろんな方が稽古に来ていた。  2001(平成13)年9月に亡くなった。 通夜が終ったら、テレビがやたらに 同じ映像をやっている。 飛行機がビルに突っ込む映像、9・11の晩だった。  あれを見るたびに、師匠の弔いを思い出す、62歳だった。 おかみさんが健在、 三代目を襲名出来て、親孝行ができたような気がする。

 <かくまでも偽り多き世の中に子の可愛さは誠なりけり>。 棟梁(とうり ゅう)居るかい。 番頭さんじゃござんせんか。 ウチの隠居の茶室の件だ、 隠居が急いでいてね、棟梁だって立派になったんだ、そうすぐにはいきません よって言ったんだがね。 今から木場まで一緒に行ってもらいたいんだが、い いかね。 行きましょう。 留守をお願いしますよ、無尽屋がきたら、帳面の 間に金が挟んであるからって。 隣には、いつも世話になってるんで。 一人 には慣れたのかい。 慣れるも何も、やってかなきゃならないんで…、洗濯物 は溜まる、洗濯するたびに溜まる。 二番目のかみさんは、酷かったね。 こ うして酒を断って、やらしてもらってますよ。 先のかみさんは、どうしてる?  どうしてますかな。 出来たかみさんだったよ、働き者だった。 坊や、何て 名だったっけ。 亀です。 そう亀ちゃん、こまっしゃくれた、可愛い子だつ た。 あれから三年、会いたいだろ。 えっ、まあ。 こないだも仕事の帰り、 菓子屋の前を通ったら、饅頭をふかしていて、これがあいつは好きだったな、 買って行ってやれば喜ぶなと思ったら、ほろりと来た。 菓子屋の小僧が、こ の人は清正公の申し子じゃないか、なんて。 親の情だよ、それが。 一人で いるんなら、元の鞘に納まったら、どうなんだい。 前をご覧よ、三人駆けて 来る、真ん中の子、亀ちゃんじゃないかい。 亀だ。 声をかけてやんな。 番 頭さん……。 木場は、あとから来ればいいんだ。

 こっちだ、亀。 お父っつあんだ。 何、恥ずかしがってんだよ。 大きく なったな、くるっと回ってみろ。 お父っつあんも、大きくなったな。 おっ 母さんは、達者か。 新しいお父っつあんは、可愛がってくれるか。 お父っ つあんは、お前だ、子供が先にできて、あとから親ができるもんか、ヤツガシ ラじゃあるまいし、そんな人いないよ。

 おっ母さんが、お針の仕事してる、仕立てや、繕い。 家は三畳しかない、 寝相が悪いと、土間に落っこっちゃう。 お前は? 学校へ行ってる。 本当 か。 おっ母さんが、なまけたら承知しない、世の中広くなってきたから、勉 強しなさい、お父っつあんは腕のいい職人だけれど、惜しいかな明き盲だった って。 お父っつあんのこと、何か言っているか? お酒さえ飲まなけりゃあ、 いい人なんだと、いつもそう言っている。 縁談の世話を焼く人は多いけれど、 みんな断っている、先の飲んだくれでコリゴリだって。 お父っつあんのこと、 恨んでやしないか。 昔のことを話してもらうんだ。 おっ母さんが、お屋敷 に奉公してたんだってね、お父っつあんは出入りの職人で、半襟や前掛けを買 ってくれたって、エサだろ。

 いい人なんだけれど、お酒を飲むとだらしなくなる。 今は、ひとったらし も、飲んじゃいない、一人で稼いでいる。 寂しいだろ。 しようがないよ。  おいでよ、ウチ、すぐそこなんだ。 おっ母さんがいるよ。 離せよ、おい、 離せ。 そうやすやすと、あの頃に戻れるわけじゃあねえんだ。 手、出しな、 小遣いをやる。 これ50銭、あたい、おつりございません。 50銭だよ、家 にいる時に、3銭くれって言ったら、ぶっ殺すって言った、苦労はしてみるも んだね。 これで鉛筆買ってもいいかい。 学校のものなら、何でも買ってや る。

 ツラ見せろ、それ傷じゃねえか。 これ、何でもない。 転んだのか。 転 んだんじゃない、斎藤さんの坊っちゃんと駒をやってて喧嘩になったんだ。 お っ母さんが、誰がやったんだっていうから、斎藤さんの坊っちゃんって言った ら、我慢しろ、斎藤さんには仕事もらっている、お下がりも…、飲んだくれで も案山子の代りになるのにって、泣きながら言ってた。 斎藤さんチってのは、 どこにあるんだ。 あのデカイ屋根の家。

 鰻、食べに行くか、好きだったろ。 明日の今時分、ここで待ってろ。 小 遣いも、おっ母さんには言うな。 知らない人にもらったってことにしな。 男 と男の約束だ。 わかった、言わない。 危ないよ、こっち見ながら走るな。  大八車が来る。 ぶつかりやがった。 あいすみません、手前共のワルでして。  大きくなったな、鉛筆と来たよ。 汗ばむよ。

橘家文蔵の「子は鎹」後半2016/12/04 06:53

 おっ母さん、ただいま。 どこで遊んでたんだい、早く上がって。 糸を巻 くから、手伝って、手を出して。 お前の好きな蓮根のきんぴら炊いてんだか ら。 二本、洟出して、かみな。 かみなって、手がふさがっている。 何か、 出て来たよ、お足だ、50銭じゃないか。 あたいのお足、もらったの。 誰に。  知らないおじさん。 50銭どうしたか、言わないかい、外を締めてらっしゃい、 こっちへおいで、怒ってないから。 何てさもしい料簡を出しちゃったんだ、 どっから盗んで来たの。 盗んだんじゃない、知らないおじさんにもらったん だ、男と男の約束なんだい。 正直に言わないと、この玄能で打つよ。 そん なもので打たれたら、頭に穴が空いちゃうよ。 お父っつあんから、もらった んだい。

 何、お前、お父っつあんに会ったのかい。 何て言っていた? 今は、酒は ひとったらしも飲んでないって、半纏何枚も重ね着して立派だった。 お酒や めたの、何か私のこと言ってたかい、えっ。 二人で同じこと聞いてらあ。 一 緒にいてやれなくて、すまなかったって、泣いてた。 明日、鰻を食いに行っ て来ていいか。 ご馳走してくれるのかい、行っといで。

 翌日、亀に小ざっぱりとしたなりをさせて、行かせた。 自分も、半纏をひ っかけて、鰻屋の前をうろうろしている。 家のワルサがお邪魔してないでし ょうか。 二階にいらっしゃってますよ。 亀や、いるんだろ。 お父っつあ ん、おっ母さんが来たよ。 おいでよ、お父っつあんがいるよ。 どこのどな たと一緒なんだい。 お父っつあん、呼んだ方が、わかりやすい。 仲人に世 話を焼かせないで。

 お小遣いと、鰻のお礼も一言、申し上げたいと思いまして…。 お前さんだ ったのね。 小遣い、鰻、なんてことないよ、昨日、ばったり会ったんだ…。  小遣い、鰻、なんてことないよ、昨日、ばったり会ったんだ…。 小遣い、鰻、 なんてことないよ、昨日、ばったり会ったんだ。 お父っつあん、同じことば かり、言ってらあ。 お前ひとりで、こんなに大きく育ててくれて、並大抵の ことじゃない、礼を言う。 こんなことを言えた義理じゃないが、この子のた めに、一緒にやっていけないか、どうだろう。 お前さんは、ちっとも変って ないわね、あたしからもお願いします。 子供がいるから、またヨリが戻るん だな。 本当ですよ、この子がいたから、一緒になれる、「子は鎹」って言いま すからね。 あたいが鎹かい、道理で昨日、おっ母さんがあたいの頭を玄能で 打とうとしたんだ。

ラフカディオ・ハーンの妻、小泉節子2016/12/05 06:34

 11月25日の「等々力短信」第1089号『バルトン先生、明治の日本を駆け る!』で、明治の近代化に貢献したお雇い外国人の日本人妻たちのことを書い た。 ベルツ花、ミルン利根、コンドル粂、日本史や民族史、美術史を研究し たジャーナリストのブリンクリの妻安子。 彼女らは、知的で自己抑制力があ り、向上心に溢れ、生き生きと美しい。 外国人教師同士も、お互いによく協 力し合っていたが、外国人と結ばれたことで厳しい境遇にあった夫人達も、強 い連帯感で結ばれ、助け合っていた、と。

 はがき時代の「等々力短信」には、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲の妻節 子、ベルツの妻花について書いていたし、萩原延寿さんの『遠い崖』で明らか になった外交官アーネスト・サトウの隠れた日本人妻のことも、『五の日の手紙 2』「「O・K・」のこと」(「等々力短信」第432号 昭和62(1987)年7月 15日)に書いていた。 それを改めて紹介してみたい。

     等々力短信 第207号 1981(昭和56)年2月15日

 モースが明治10年最初に出会って好きになった日本人達は、数年後の再来 日の時には本当に消滅してしまっていたのだろうか。  明治24年の松江。 日本におしよせた近代化の大波からは、ちょっとかく れた静かな入江であった。 貧窮した士族の娘で、23歳の小泉節子が中学の英 語教師で、17歳年上のお雇い外国人の妻になった噂が広がったぐらいだった。  「ママさん。 あなた女中ありません。 その時の暇あなた本よむです。 た だ本をよむ、話たくさん、私にして下され」。 夫人が家事をするとラフカディ オ・ハーンは不機嫌になったという。 節子は日本の古い伝説や怪談の本をあ さり読んでは、ハーンに物語った。  われわれが幸福にも心のふるさとともいうべき共有財産として、「耳無芳一の 話」「食人鬼」「安芸之助の夢」「雪女」「力ばか」といった数々の物語を持って いられるのは、ハーンと、彼が松江で出会った日本人妻のおかげである。

     等々力短信 第208号 1981(昭和56)年2月25日

 「パパサマ、アナタ、シンセツ、ママニ、マイニチ、カワイノ、テガミ、ヤ リマス。 ナンボ、ヨロコブ、イフ、ムヅカシイ、デス」。 明治37年夏、焼 津にいるハーンにあてて、東京の節子が送った手紙の一節である。 追伸は「ミ ナ人 ヨキコトバイイマシタ パパサマノ、カラダダイジスル、クダサレ」。  最近出た『小泉八雲 西洋脱出の夢』という本に平川祐弘さんは、「普通の日 本語の手紙を書くのに不自由はなかったはずの一日本婦人が、夫のためには『ヘ ルンさん言葉』を話し、『ヘルンさん言葉』で手紙を書いたことが尊いのである」 と書いている。  夫人が小泉八雲を語った「思い出の記」という文章がすばらしい。 筑摩書 房の明治文学全集48『小泉八雲集』に収められているのが一番入手しやすい。  ぜひご一読を。  おかげ様で短信満六年になりました。 心身の健康と時間の余裕に感謝。 付 録に私のいたずらを同封します。 (この附録は、当ブログの「小泉八雲、鳩の鳴き声の版画<小人閑居日記  2015.4.15.>」に写真を出している。実は、ここを書くまで、版画を公開した 時に、この三回の「等々力短信」も引用していたことを、すっかり忘れていた。)

       等々力短信 第209号 1981(昭和56)年3月5日

 朝、川ばたから、かしわ手を打つ音が聞えてくる。 松江の人たちは、だれ もかれもみな、朝日にむかって「こんにちさま、どうか今日も無事息災に、け っこうなお光を頂きまして、この世界を美しく照らし下さいまし、ありがたや、 かたじけなや。」と、拝む――ハーンの『日本瞥見記』、「神々の国の首都」の中 にこんなくだりがある。  ハーンを読んで、いたく心を動かされるのは、そこに描かれた明治の日本が、 貧しいけれど、おだやかで、美しく、あたたかい心に満ちあふれているからだ。  その後の日本がなしとげてきた近代化、とりわけこの二十年ほどの高度経済成 長が、たしかに物質的な豊かさをもたらしはしたが、ハーンが好意をもって記 述したことどもを、どこかに忘れてきてしまった。  ハーンを読むたびに、どちらが人間にとって幸せなのだろうか、という思い にかられるのだ。