平川祐弘著『漱石の師マードック先生』2016/12/15 06:16

 平川祐(示右)弘さんに『漱石の師マードック先生』(講談社学術文庫・1984 (昭和59)年)があるのを知った。 世田谷区立中央図書館の保存庫にあった。  まえがきに、こうある。 「夏目漱石は単なる文士ではない。森鴎外と並ん で、文士以上の知識人であった。その意味は、非西洋の国日本で生れて、西洋 を貪欲に学びつつ、しかも十九世紀風の西洋本位の見方にとらわれず、自分た ちが進むべき路を、その文筆活動によって示そうとしたからである。」 「その ような漱石の人間形成にまつわる数ある問題の中で、もっとも大切な問題の一 つである、漱石の師は一体誰であったかを考え、ジェームズ・マードックにつ いて調べてみた。このスコットランドの辺境の出の歴史家は、その人柄におい ても史観においても、まことに興味深い野人であった。」 「明治末年のマード ックと漱石の知的応酬は、社交的儀礼の域を越えた、誠実なる論議を呼んだ。 漱石の有名な講演『現代日本の開化』は、マードックの史書に触発されて発表 された一文であるからである。」(本文中の22頁には、「マードックの楽観的な 日本近代化論に対する反論としてまとめられた文明観なのである」とある。)  「文明の将来について悲観的であった漱石は、日本の急激な西洋化の前途につ いては深い危惧を抱いていた。その漱石の見方は、徳川時代の意義を高く評価 し、ペリー艦隊江戸湾侵入以来五十年の日本の進歩を讃歎するマードックの史 観とは色調を異にしていたのである。漱石は日本の近代化が内発的でなくて外 発的であり、日本の開化が皮相上滑りであることを嘆いていた。」

 夏目漱石は「マードック先生の日本歴史」が「東京朝日新聞」に掲載された 5か月後の明治44(1911)年8月15日、和歌山県会議事堂で『現代日本の開 化』という講演を行った。 平川祐弘さんは、この講演をいまなお価値あるも のとして、「強力な西洋文明の圧迫下で近代化をなしとげようと焦(あせ)る日 本人の心理に生ずる無理と虚偽とを剔抉(てっけつ…えぐってほじくりだすこ と)した真に注目すべき考察であった」として、以下のように書く。 漱石は この講演で「開化は人間活力の発展の経路である」と歴史を単線的な発展史と してまずとらえる。 その文明の進化の結果、人々の幸福は必ずしも増したと はいえず、開化が進めば進むほど人間の欲望は増大し、こうした「生存競争か ら生ずる不安や努力に至つては決して昔より楽になっていない」、開化の進展が 却って人間に不安と苦痛とを与えている、という「開化の産んだ一大パラドッ クス」を一般論としてまず開陳した。

 講演後半では、日本の開化にまつわる「一種特別な事情」とそれから生ずる 別種の不安と苦痛について述べた。 西洋の文明開化は「内から自然に出て発 展する」「内発的」な開化であった。 それに対して問題なのは、現代日本の開 化が「外からおつかぶさつた他の力で已(やむ)を得ず一種の形式を取る」「外 発的」な開化だという点にある。 こうした自発性のない外発的な開化は、そ の中で生きる人間に「空虚の感」と「不満と不安の念」を与えずにおかない。

 漱石は、「我々の遣つてゐる事は内発的でない、外発的である。是を一言で云 へば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云ふ事に帰着する。」と言う。  このように西洋文化の衝撃の下で生きる者は「上皮を滑る」か「又滑るまいと 思つて踏張る為に神経衰弱になる」しかない。 漱石はこの「極めて悲観的な 結論を述べて、「どうすることも出来ない、実に困った」と嘆息するだけであっ た。 平川祐弘さんは、漱石にとってはこの「苦い真実」を聴衆にさらけ出す ことだけが唯一の誠実な行為だったのである、とする。