アダム・スミスと福沢諭吉の共通性2016/12/19 06:41

 坂本達哉教授の講演「アダム・スミスと福澤諭吉―<共感>と<独立自尊> のあいだ」のテーマは、「スミスや福沢は、本当に、利己心と競争を原理とする 近代社会(資本主義)を正当化しただけの思想家だったのか」である。  案内の「講演概要」には、こうある。 スミスや福沢の道徳論を比較・検討 する。 二人はともに、それぞれの国民的課題と取り組みながら、人間・社会 の真の文明化と近代化には人間の生き方(=道徳)の革新が不可欠と考えた。  その成果が、スミスの『道徳感情論』であり、福沢の『学問のすゝめ』だ。 講 演では、スミスの「共感」と「公平な観察者」の理論、福沢の「独立自尊」と 「人間交際」をめぐる議論をつうじて、二人の思想の意外な共通性を読み解く。

 坂本さんは、「ヒューム、スミス、福沢の思想的共通性――文明社会論の方法」 から、その問題に入る。 ヒュームの考え方は、100%スミスが受け継いでい て、経済学と道徳論に体系化した。

 ・「文明社会」における「勤労・知識・人間性の不可分の連鎖」(ヒューム) と「人間交際」「文明の精神」「智徳の進歩」(福沢)。

「彼らは都市に集まり、知識を受け取り、伝え合うことを好み、彼らの機知 や育ちの良さや、会話や暮らしぶり、衣類や家具の趣味の良さを競い合う」「勤 労、知識、人間性はひとつの解きがたい鎖で結ばれている。」(ヒューム「技芸 の洗練について」)。

 「文明とは人の安楽(物質的)と品位(人間性)との進歩をいうなり。また この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、 人の智徳の進歩というて可なり。」(松沢校注『文明論之概略』61頁)

 ・文明社会の大黒柱(スミス)としての「法の支配」と「正義」による人権 の確立⇒福沢の「国法の貴きを論ず」(『学問のすゝめ』第六編の忠臣蔵批判)。

 ・文明社会の担い手としての「中産層」観の共通性⇒スミスの「中下層の人 びと」(坂本『ヒューム 希望の懐疑主義―ある社会科学の誕生』慶應義塾大学 出版会・第8章)と福沢の「ミッヅルカラッス」。

 つづいて、「スミスの「共感(sympathy)」と福沢の「人間交際」」。

・スミスの「共感(sympathy)」には、二つの意味がある。 「同胞感情(fellow feeling)」としての「共感」と、「道徳的(是認)感情」としての「共感」(= 「同感」)。 同胞感情、是認感情はいずれも利己的⇒自分の利益になるから「共 感」「同感」するわけでない。

 ・スミスの「共感=同胞感情」と福沢の「人間交際」の基本的共通性。

 「社会と交際(society and conversation)とは、精神が何らかの場合に不幸 にも取り乱したとしても、それを取り戻す最も強力な救済手段である。」(スミ ス『道徳感情論』岩波文庫、上、59-60頁) 社会に出ることが慰めになる。

 「人に交わらんとするには啻(ただ)に旧友を忘れざるのみならず、兼ねて 又新友を求めざるべからず」「故に交わりを広くするの要は、この心事を成る丈 け沢山にして、多芸多能、一色に偏せず、様々の方向に由て人に接するに在り」 「人にして人を毛嫌いする勿れ。」(『学問のすゝめ』第十七編「人望論」)